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太陽と月というセンス

どうも、フリー作家の井野ウエです。

私、小学6年生のときにクラスの皆にいじめられてたんです。
理由は曖昧なんですが、当時仲が良かったグループを私が何かしらの要因で抜けたことから起因したものだったと思います。
学生のいじめって、本当些細なことから始まるんですよね。だって理由も忘れるほどのことなんですよ。でもされたことは忘れないんです。負の思い出だけは根強く残っています。

下駄箱から靴を隠されたり、お道具箱をひっくり返されたり、書道セットを汚されたり、色々されましたが、何が一番辛いってやっぱり話し相手がいないことでした。
いじめられる前の私にとって話し相手は命ほど大事なものでした。騒ぐのが仕事と言ってもいいくらいです。
その命が急になくなった6年生の前半は、生きている心地がしませんでした。

しかし、そんな状況を耐え忍んでいた10月頃、救世主が現れます。
それは隣のクラスのW君でした。W君は当時まるまると太っていて、いじられキャラとしてそのクラスでは定着していました。小学校に入学してからW君とはそこまで親しくなかったものの、暗い私を見かねたW君は声をかけてきてくれたのです。

「いつでもこっちのクラスきなよ。こっちで喋ろう」

その言葉にどれほど救われたことか。そこからW君とW君の友達2人、そして私の4人で休み時間に遊ぶようになります。

仲間が増えればいじめも減っていきます。弱い者を叩くから面白いのであって、こちらに友達ができれば反撃されるかもしれないという思いがよぎりますもんね。

さて、本題はここからです。いじめは脱したものの、陰であだ名をつけられていることに気付いたのです。

「太陽と月、また騒いでるよ」

なんだろう。けなしているわけではないようだけど……
推理してみると、その由来がわかりました。

当時私は肌があれていて、ニキビが顔にプツプツとありました。それを潰すんもんだから、クレーター状になっている部分もあったのです。
そして仲良しの親友はまるまると太ったW君、なぜか冬でも半袖を着る変わったやつです。

そう、『太陽と月』とはW君と私を例えたあだ名だったのです。

私はそのあだ名に感心しました。なんてセンスのあるあだ名なのだと。
当時のコンプレックスを元に作られているのでも少し複雑ですが、それを超える感動がそこにはあったのです。

ただの悪口じゃない。比喩を駆使しウィットに富んだそのあだ名をつけた人物は、今どこで何をしているのでしょうか。

皆知らないところで何かしらのあだ名をつけられているかもしれません。

あなたのあだ名には、どんな思い出がありますか?


そんなこんなで今日も生きています。


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