第4夜 ブラックマーケット
夜が来る。人々の不安をかき立て、悪夢へ誘う夜が。
悪夢のゲームがもたらすのは、ホラー映画染みた鬼ごっこだけではない。現実には何もない場所に、蜃気楼のごとき幻の楼閣をも出現させる。闇の中に浮かび上がるのは…欲望にまみれた、悪徳と退廃のブラックマーケット。
全体としては石造りの、剣と魔法のファンタジー風でありながら。不釣り合いなネオンに彩られたその闇市は、夜の間だけ松戸南部市場脇の駐車場に出現する。昼間は車の姿もほとんどなく閑散としているが、体育館ひとつがまるまる収まるほどの、何かのイベント会場に使えそうな広さだ。
もちろん起きている者には見えず、気配すら感じられない。
★ ★ ★
「わたしぃたちぃ、エーオース三姉妹のダンスを見てってくださぁい!」
幻のかがり火が灯る古代ローマ風の場内に、陽気な声が響く。人を不安にさせる夜の中で、周囲の者を元気付ける明るさに満ちた声だった。あいさつに応じて、拍手と喝采があたりに飛び交う。
闇市の中央は、一段高いステージになっている。そこに立つのは、姉妹と呼ぶには容姿も雰囲気もバラバラな女子が三人。
(何よ、こいつら…)
観客席から見てステージ左手に立つ、外ハネの紫髪に蠱惑的な肢体を赤い衣装に包んだ踊り子が、その場の異様さに思わず顔をしかめる。踊り子以外の全員が、何らかの種類の仮面を着用していた。デザインはバラバラ。仮面の奥からのぞくのは、匿名の解放感がもたらした欲望にギラつく視線。
「アンジュちゃん、スマイルですよぉ♪」
ステージ中央に立つ、金髪を一本三つ編みにした水色衣装の陽気な娘が紫髪のツンツン娘に笑いかけると。
「ここは、エルルさんに合わせましょう」
同じく金髪だが、少女の面影を残しつつも武人然とした娘がステージ右手から駆け寄ってきて、小声で紫髪の娘に耳打ちした。衣装は若草色だ。
並の女性なら、恐怖と緊張で足がすくんでしまうに違いない。それを彼女は、不安に呑まれることなく周囲をはげまそうとしている。武人でも貴族でもないならば、強固な信念か信仰を胸に抱く者だろう。あるいは天性の旅芸人か。若草の娘は、雰囲気美人の素性をそのように推察した。
「カリンは平気なの?」
「正直腹立たしいですが、今は機会をうかがうのが良さそうです」
歓声にかき消されて、耳打ちのやりとりは観客に聞こえない。アンジュと呼ばれた娘も、渋々うなずくと。熱い視線を向けてくる観客に小悪魔的なウインクをしてみせた。
三人が配置に戻ると、景気のいい音楽が流れ出す。それに合わせて踊り出した彼女らのダンスは、おそらく練習不足のにわか仕込みだろう。微妙に振り付けがズレていたが、観客の主な関心は両脇のふたりの揺れる果実に向いていた。
ステージ中央のエルルも、それに気付いている。けど気にしない。ただの源氏名でなく、本当にどこかのお姫様みたいな存在感のある彼女らと比べれば、自分はただの田舎娘。けど今、この場の空気を司るのは間違いなく自分自身。だから闇夜のオーロラみたいに、誰より明るく輝いてみせる。
「もっと踊って、夜を盛り上げなさい。お前たちは『姫ガチャ』で大当たりを引いた…この山椒太夫さまの奴隷なのだからね」
ステージより高くなっている、奥の豪奢な玉座の上で。比喩ではなく山椒魚そのものの醜悪な顔にパンタローネの好色な面をつけた肥満体の男が、両脇に護衛を従えながら高慢な笑みを浮かべていた。
その山椒太夫を名乗る俗物に、観客席の隅から鋭い視線を向ける何者かの姿があった。マントを羽織ってフードを深くかぶり、表情はうかがえない。
「いま、騒ぎを起こすのは得策でない。手は貸さぬからな?」
フードを被った何者かの、固く握った拳が怒りに震えているのを見つけ。和風の兎面をつけた小柄な女が、すぐ後ろの席から小声で耳打ちした。
「エルルを取り戻しに来ましたか?」
「うむ。じゃが、単純に連れ出せば済む話でないぞ」
フードの中から漏れたのは、中年男性の声。老成した声音の兎面の女とは知り合いらしい。
「エルルは今、おぬしらの言う悪夢のゲームに取り込まれてしまっておる。目の前にいるのは、化身のひとつに過ぎぬ」
「NPC化してるってことですか…」
フードの男が、ステージで踊る一本三つ編みの娘を見る。男にとっては、何年ぶりかの再会だった。まぶしい笑顔がわずかに、男の心を癒すけれど。こちらの姿は、見えてないように思える。単純に気付いてないのか、決まったセリフしか喋らないNPCの性質なのか。
「ガーデナーの連中め、非道な真似を」
兎面の女は、フードの男が漏らした言葉に応えない。表情を仮面の下に隠したまま押し黙っている。
「彼女の件は、わらわたちに任せよ。おぬしは深入りするな…良いな?」
フードの男からも、返答はない。予想の範囲内だったのか、兎面の女もそれ以上言葉を重ねることはしなかった。ふたりとも、ただ無言でステージの上に視線を向ける。
ダンスが終わり、踊り子たちが観客にカーテシーであいさつすると。盛大な拍手と歓声があたりを包む。
ある用事でブラックマーケットへ来たら、思いがけない相手と出会った。それも、ふたりも同時に。このまま大人しく帰るか、何らかのアクションを起こすか。フードの男が客席に残ったまま、思案に入ろうとしたそのとき。入り口の扉が誰かに蹴破られた。大きな物音に、そちらへ視線が集まる。
「ガアァァ!!」
外を警備していた者がふたり、乱雑に投げ捨てられ床に叩きつけられて消えてゆく。圧倒的な怪力だ。獣じみたうなり声。血走った目。誰が見ても、正気とは思えない有り様。そして、燃え盛る炎をまとった鉄塊の如き巨剣。
「曲者ですよ、みなさん!!」
山椒太夫が護衛に指示を出すも、みなどこか及び腰だ。それもそのはず、無差別にプレイヤーを襲うバーサーカーの噂はこの近辺に知れ渡っていた。
松戸市はマッドシティ。ネットの冗談で、よくそんな風に呼ばれることがあるけれど。人々が夜の眠りと共に、悪夢のゲームへ「ログイン」するようになってからは。夢の中の松戸はいろいろヤバいものや問題人物が集まる、世紀末の「むせる」街に変わりつつあった。もしコーヒーが飲めたら無駄に苦いだろう。もちろん、現実の松戸市には何の変化もないが。
このままでは「やさシティ、まつど。」が夢の中では「やさぐれシティ」になってしまう。それだと風評被害だ何だで、作者が怒られるんだよ。
「おかしいな、隠形のルーンが不完全だったかな」
「罪のにおいを嗅ぎつけた獣か」
「あの人、札幌在住のはずなんだけど」
少しぐらい努力したところで、避けようもない面倒事も世の中にはある。フードの男と兎面の女がそれぞれ、心の中でやれやれとため息をついた次の瞬間。いきなりバーサーカーが飛んだ。武侠映画のワイヤーアクションみたいに。
「エルルさん!」
「はわっ!?」
得意の槍が手元にないことを心細く思いながらも、乱入者の一挙一動に注意を払っていた若草の娘カリンがとっさに動いた。事態に対処できないのんびりお姉さんをステージの端から跳んで抱きかかえ、反対側のツンツン娘アンジュの隣へ着地する。見事なお姫様キャッチ。
「あたしパス!ここじゃ魔法使えないし」
アンジュは三人で逃げようとあたりを見回すも、どの出口もパニックを起こした観客が殺到して密です状態。これが夢じゃなかったら、怖い思いだけでは済まなかったろう。
エルル目掛けて剣を振り上げ跳躍したバーサーカーは、狙いがそれて奥の山椒太夫が座る玉座へ一直線。勢いがついたらもう止まれない。護衛たちはあわてて逃げ出す始末。
「ひっ!ひでえぇぇぇ!!」
肥満体で機敏に動けるはずもない悪趣味男が、自らに迫る理不尽な暴力の嵐に悲鳴をあげ、目を閉じる。もう助からないと思ったか、それとも腰が抜けてしまったか。
その場の誰もがやられた、そう思った瞬間。金属と金属が激しく打ち合う音がしてバーサーカーの一撃が止められた。
「あやつは…!」
新たな乱入者に、兎面の女が警戒の色を強める。フードの男も身構えた。
山椒太夫が目を開けると。いつどこから入って来たのか、ピエロ風の男が剣ほどある巨大な剪定バサミで燃え盛る剣を受け止めていた。
「お前、前に仮面をもらったときの!?」
「アナタにはまだ、奴隷商人の役を演じてもらう必要がありますので」
ハーレクインの憎めない面から、人形の目が不気味にギョロリと俗物へ向けられる。
「グルアァ!!」
バーサーカーがより一層剣を赤熱させ、鍔迫り合いを強引に優位へ持ち込む。受け止める剪定バサミが押し込まれ、道化服の袖が燃えてマネキンのような腕が露出する。
「そこのガーデナー!何で暴走を止められない。黒幕はお前らだろ」
「ワタシたちは被害者。この端末だってガチの戦闘は考慮されてないのに」
言葉を発したフードの男からすれば、意外な返答だった。
見れば、道化人形のあちこちがガタガタ震えて亀裂が入り始めている。山椒太夫は完全に腰を抜かし、その場にへたり込んで動けない。護衛はみな逃げ去った。
「悪夢のゲームに関しては、我々よりそこのヴェネローンの勇者様が詳しいんじゃありませんか?」
道化人形の目は、兎面の女に向いている。薄い胸に白いサラシを巻き、緋袴をはいて帯刀したサムライ風の女だった。
「言葉を弄すな。『災いの種』の火消しに回ってるヴェネローンが、黒幕のはずないだろ」
フードの男から、兎面の女と彼女の所属する組織への信頼がうかがえる。それだけに彼の胸中には、さきほどから彼女が見せる不可解な沈黙への疑問が大きく育ち始めていた。
「この地球は、ワタシたち『ガーデナー』には格好の庭であり農場でした。ところが、2月の中頃から暴走が相次いで…今ではこの有り様ですよ」
いったい、何の話をしているのか。山椒太夫にはわけが分からない。ただこの悪夢が早く過ぎ去って、朝が訪れてほしいと願うばかりだ。
「この端末は、もう限界です。勇者様が暴走を黙って見過ごすのですか?」
「おぬしに言われんでも!」
バーサーカーの怪力に耐えかね、道化人形の身体が砕けるのと。兎面の女が常人離れした跳躍力で石壁に向かって跳び、反動を利用した強烈な三角飛び蹴りを横から暴走男にくらわせたのはほぼ同時。遅れて、残された剪定バサミがカランと地面に落ちた。バーサーカーの身体が突き飛ばされて、市場脇の石壁に叩きつけられる。壁に大穴があいて外が見え、背景のタルも巻き添えに粉砕された。その様子は先日、緑の魔女からキツいお仕置きを受けたときとも重なって見えた。当然そのくらいで気絶したりはしない。
「今のうちに離れて!悪いけどカリンちゃんも手を貸して」
「はい!」
フードの男が山椒太夫を助け起こそうとし、その重さに身体能力の高い踊り子カリンへ助力を求める。若草の娘からはフードの中に、顔の上半分を覆うベネチアンマスクが見えた。正体不明ながら、悪人でさえ助けようとするこの男は他の群衆と違う。そう察したカリンは素直に従った。
どこかで聞いたような。フードの男の声に不思議な感覚をおぼえながら、エルルもアンジュと一緒にステージを降りて距離をとる。
「まったく、どこの世界にも猪武者はおるものよな」
兎面の女がステージ上で、起き上がるバーサーカーを見下ろす。左手に刀を手にしているが、まだ鞘に収めたままだ。
「アリサ様ぁ!」
エルルから、兎面の女に声援が飛んだ。一本三つ編みのフィッシュボーンが揺れて、瞳をキラキラと輝かせている。その胸は揺れなかった。
「知り合いなの!?」
アンジュが驚いた様子で、エルルを見る。カリンも思わずエルルに視線を向けていた。
「アリサ様はぁ、トヨアシハラの武者姫でヴェネローン最強剣士の一角ですよぉ!!」
「エルルよ、一応隠密任務なのじゃが」
「お面だけでぇ、正体隠す気ないくせにぃ」
アリサのことは、覚えているのか。それとも知人と会って、悪夢のゲームに取り込まれたというエルルの意識が、わずかに覚醒へ傾いたのか。
フードの男が、思案を巡らしながらエルルを見守る。どこか遠くを見るような目で。
「話はあとじゃ。奴が来る!」
ステージの上で、今度は剣舞が始まる。それはどこか闘牛にも似ていた。パニックに陥っていた観客も静まって、遠巻きにその余興を見ている。
鉄塊のごとき炎剣がブンッ、と空を切る音が響く。大振りなその攻撃は、兎面の剣士アリサにまったくかすりもしない。最小限の動きでかわす姿は、素人目にも隔絶した力量差を実感させた。どこか、大相撲で重量級の相手に大立ち回りを見せる小兵力士や、太刀狩り弁慶と牛若丸の五条大橋での対決を見るかのようでもあった。
「あのような剣士がロウランにいれば、ガーデナーの侵攻を退けたかも」
故郷での戦を思い出しているのか、カリンが武人として畏敬のまなざしでアリサの背中を見ている。
「ガッ!」
猪突猛進に襲い来るバーサーカーの鳩尾に、刀の柄頭での突きがカウンターで入った。その一撃で、暴走していた男はその場に崩れ落ちる。そして姿が薄くなり消えていった。
「結局、剣を抜かずに勝ったわね」
アンジュが知り合いの剣士を思い浮かべながら、あっけにとられた様子で目の前の達人をながめている。拍手と歓声の中、舞台から降りたアリサはフードの男に近付くと、小声で何かをささやいた。
★ ★ ★
次の日の夜。フードの男は再びブラックマーケットを訪れていた。仮面で素顔は分からないが、警備の者はみな昨日の出来事を知らないらしく。男に用件をたずねてきた。逃げた奴らは全員クビになったのだろうか。
「先日は災難でしたね、山椒太夫さん」
「なんだお前。冷やかしなら帰れ」
えらくつっけんどんな態度で、玉座の上の山椒太夫がフードの男を見下ろしている。昨夜の悪夢を思い出したか。
「今日は、あの男に襲われないで済む名案を持って来ました。金を払って頼りない護衛を増やす必要もなく、逆にひと儲けできますよ」
「商談か。なら詳しい話を聞かせろ」
山椒太夫が部下に目で合図すると、彼の私兵は客人を2階の応接室へ案内する。窓からは市場全体を眼下に見渡せ、ここからでもステージが見える。
非力ならば、相応のチカラを持つ者を利用する。これでもう、ミカも堂々と「夢歩き」できるだろう。フードの奥で、イーノは一歩前進の手応えを感じていた。
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