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柏のソーシャルファーム4日間体験記

雲流れゆく葛飾の 野は沼南に拓かれて
われら若人 ここに集いぬ
(千葉県立沼南高柳高等学校 校歌より引用)

 手賀沼の南に広がるのどかな田園地帯に、その農園はある。Googleマップだと航空写真が古くて、空き地になっている新設のビニールハウス群。偶然にも、私の母校から車で10分ほどの近所だった。

 わーくはぴねす農園 柏第3ファーム。日本ではまだ珍しい、ソーシャルファーム事業を手がけるエスプールプラスの管理する「貸し農園」だ。なお親会社のエスプールはこんな会社。アウトソーシングを請け負う企業だ。

 わーくはぴねす農園は、事業開始から10年。ここまで苦労に苦労を重ねてようやく軌道に乗ってきたと、説明会でもそんな話を聞いた。

 公式サイトのプレスリリースによれば、柏第3ファームは11月2日に開設したばかりの生まれたて。まだ事務所や食堂、更衣室やトイレ用のトレーラーハウス、ビニールハウスやハウス用加温器の重油タンクを設置したぐらいでした。敷地内の砂利も白くて真新しい感じ。

 私自身は2019年3月に前職の物流センター(移転により閉鎖)を退職して以来、オンライン受講のプログラミングスクールにも通ったが就職に結び付かず。1年以上無職のままでいる。
 コロナ禍で就職活動もままならなくなった私は夏の間をドラクエウォーク三昧で過ごし、秋頃から散歩中に見つけたご当地の歴史と位置情報ゲーム、さらにコロナ禍そのものをネタに小説「悪い夢はネカ魔女がMODりますの(ワルネカ)」の執筆に取り掛かるが、貯金を取り崩す生活を続けるばかりだった。両親と同居中とはいえ、いずれ蓄えも底を突く。
 そこで新京成線の電車内に出ていた「障がい者の農園就労」の広告を見た私は、精神障がい者保険福祉手帳の2級を持ってるので農園体験に申し込んでみることにした。

 体験期間は2020年11月17日(火)から、20日(金)までの4日間。JR我孫子駅から送迎バスが出ている。松戸からは快速一本で行けるので朝9:20の集合にも余裕を持って行くことができ、帰りはADHDの薬ストラテラが切れて眠くなる15時頃には我孫子に戻れたので助かった。これなら家事の手伝いも十分できる。我が家はパーキンソンの母のために父が料理と掃除洗濯、私が食器洗いと洗濯物をたたみ、風呂掃除もしている。
 体験の前に1回説明会があり、第3ファームの北にある第1ファームで概要の説明を受けた。航空写真で見るとかなり大きなゴルフ場、藤ヶ谷カントリークラブの南側にある。農園何個分あるんだ。

企業向け貸し農園とは?

 私も初めて聞くビジネスモデルだ。本業の職務内容では障がい者の法定雇用率を満たすのが難しい企業に、農園の一区画を貸し出す。企業はそこで障がい者を雇用して、定着率の高い農業をやってもらう。知的障害者が68%、精神障害者も27%いるようだ。身体障害者は5%で、車椅子の人だけはまだ受け入れ体制が整っていないとも聞いた。

 仕事に合わせて人を雇うのではなく、障害者の居場所を作るための経営。1970年代にイタリアの精神病院で始まった「ソーシャルコーポラティブ」と呼ばれるものだ。それの日本版。

 ソーシャルファームの名前通りに農園をやってるところもあれば、ホテルだったり、上の記事のようにクラッカーを焼いているところもある。利益追求を第一とする従来の企業とは、また違った信条を持つ形態だ。

人材派遣とは似て非なる発想

 私は最初、派遣社員に近いものを想像したが。わーくはぴねす農園のスタイルは独自だ。本業がアウトソーシングのエスプールだから、こういう発想が出てきたのかもしれない。

 この農園で障がい者を雇用するのは企業であり、エスプールプラスは農園の管理運営と企業との仲介役に徹する。企業からは担当者が定期的に顔を出して、農園の運営に参画する。もちろん農業技術を指導する専門家もいる。
 シニア層や主婦の人も、3人1組でチームを組む障がい者のまとめ役「農場長」として雇用する。人柄を重視する役割だ。

 実際どんな企業が利用しているのかは、下記の記事でも紹介されている。

 配られた説明資料には、ドトールや東急ハンズに、日産自動車やパナソニックといった大手企業の名があった。意外なところでは、私も以前小説を投稿していたカクヨムの運営元KADOKAWAグループの名まで。もちろんエスプール自身も農園を利用している。

工夫された運営方法

 私の近所にも農家さんは多い。特に和名ヶ谷の新東京病院の周囲は一面、見渡す限りの広大な畑だ。ネギなどを作っているのがよく見える。

 わーくはぴねす農園はビニールハウスで野菜を育てるが、その方法が私の想像とは全然違った。使う道具と手順を、障がい者向けに考えていた。

 まず、普通の土は使わない。パミスサンドという軽石を使うので泥まみれになったりはしない。鍬で耕したりせず、プラスチックのスコップを使う。発泡スチロールの細長い花壇を組み立て、防水シートを敷いた上にガーゼのような給水シート、花壇を保護する防根シートを敷く。中央は仕切り板の下にくぼみがあって排水溝の役割を果たし、水はけをよくしている。この上にパミスサンドを敷き、種をまいて野菜を育てる。肥料は液肥を水と一緒に、じょうろで散布する。

4日間の体験内容

 だいたいこんな感じだった。3日目までは11月なのに日差しが強くハウス内は初夏のような暑さになった。夏場はもっと暑くなるそうで、作業時間を短めにして休憩を増やしたり、空調の効いた場所で他の作業をするらしい。

1日目
・農場内の案内
・パミスサンドの掘り起こしと慣らしの実習
・掃除

2日目
・1日目の復習
・播種盤を使った種まきの実習
・掃除

3日目
・パミスサンド取り扱いの復習
・チームで仕事するときの実習
・バスの時間が迫っていたため、掃除はスタッフの方がして下さった模様

4日目
・パミスサンド取り扱いの復習
・チームで仕事するときの実習
・ベッド(花壇)の組み立て
・掃除
・2日目に種まきしたハツカダイコンが一部、もう発芽してた(!)

 指示はすべて具体的で簡潔、知的障がい者やシニアの方でも理解できるよう反復練習を重視していた。発達障害の人はあいまいな指示をされると解釈に困ることが多々あるので、これは大変ありがたかった。

 また種まきの穴をあけるのに、誰がやっても均一の間隔と深さになるようたくさんイボのついたアクリル板(播種盤)を使う、座って作業できるようガーデニングカートを用意するなど道具もそろっていた。長い花壇も車輪付きカートで座りながら横移動できるので、腰が楽だ。

 敷地内に飲み物の自販機はあるが、近くにコンビニなどは無く、朝のうちに我孫子駅前などで買っておく必要がある。あったとしても迷子の懸念があるのだろう、体験中は帰りまで農園の外に出ないよう告知していた。暑さが心配なので弁当は朝に預かり冷蔵庫で保管、お昼休みに持ってきてくれた。最終日だけ天気がくもりで過ごしやすくなり、体験棟でお昼を食べることができた。

ご一緒した参加者さんの就職先が気になった

 というのも、休憩時間やお昼休みなど、結構交流する時間がとられていたからだった。さすがはワークライフバランスを意識した農園名。

 前職の物流センターでは、こんなに周囲の人とは話さなかった。愚痴やイヤミを言う人もおり、私に露骨な嫌悪感を向けてくる人もいた。そもそも、トラックが出発する昼便前は仕事が終わらないとお昼を食べれない人も出る修羅場だったのだ。設備が古いのかラインが故障することもありそんなときはバケツリレー方式で折り畳みコンテナをカーゴに積み、下の階へ運ぶこともあった。そういう職場なのだから、全体的にセカセカしてしまうのは仕方ない。あれでも業界最大手なのです。移転先の新センターでは変わっているでしょうけど。
 社員さんはきちんとした人が多かったけど、パートさんまで意識を浸透させるのは、かなり苦労してました。対人トラブルも多かった。人が多いのでどうしても全体に配慮が行き届かなかったのでしょう。

 それに比べると、農園では急かされることがなかった。初日だけでなく、4日間すべて朝礼で自己紹介の時間があった。毎日スタッフさんや農場長候補さんなど、誰か初対面のメンバーがいたからかもしれないが、これは本当に大きい。名前を覚えてもらうだけでなく「趣味」「好きな野菜」「尊敬する人」などお題を決めて、個人の顔が見えるような交流のきっかけを作っていた。

 私は趣味で書いてる小説「ワルネカ」や「ドラクエ羅生門」の紹介にドラクエウォーク、散歩中に見つけたご当地ネタの話をしたり。サイゼリヤが好きなので野菜はトマトやバジルにオリーブ、尊敬する人はウォークのローソンコラボ中に見つけた限定漫画「上杉鷹山 -米沢藩を救った男-」にしておいた。涙を流す王子様。
 おそらくは知的障がいの人なのに私より字が綺麗で、SDGsを知ってて、育ちが良さそうなお嬢様風の人が印象に残っている。一人称もリアルで珍しい「わたくし」で、私の小説ワルネカの主人公ユッフィーと同じ。しばらくの間、ユッフィーのセリフは彼女の声で脳内再生されそうだ。

 体験会では一緒でも、就職先の企業はバラバラ。運がよければ同じ農園内で雇用されるかもしれませんけど。

農場体験を振り返って

 さて、終始雰囲気の良い職場体験でしたが。作家の卵たる私がただのいい話でしたで終わらせていいのか。人は安心を得たら、冒険を求めるものだ。
 ADHD当事者の私個人の感覚では、障がいに理解のない企業で働くのはたいへん苦痛だが、知的障がい者とまったく同じレベルの仕事だけではもちろん、能力をフルに発揮したとは言えない。精神障がい者の特性を活かして高い業績をあげる企業は、日本ではまだ数少ないのだろう。このあたりは今後の課題かもしれない。
 他にも何か、見落としている問題点は無かっただろうか。「エスプールプラス」で改めてGoogle検索してみた。そこで目にとまったのがこの記事。

 タイトルが目を引くが、本文で気になる部分を書き出してみた。

・エスプールプラスがしているのは、法定雇用率の肩代わりビジネス
・企業は法定雇用率未達成で社名公表される=叩かれるのが怖くて、調整金を払ったりエスプールプラスのビジネスモデルに乗る
・人助けではあるが、障がい者が働いた成果が市場で評価されてない
・経営の厳しい中小企業の払った調整金が、余力のある大企業に流れる矛盾
・親会社の業務からの単純作業切り出し型の障がい者雇用には、限界がある

 この記事は2018年12月のものだ。では私が農場体験してきた2020年11月では、何か変化があっただろうか。実際あった。

 エスプールプラスさんで聞いた説明では、収穫した野菜の出荷作業があった。また本業が飲食店やホテルの会社ではそちらに野菜を卸すこともあるらしい。野菜の品質を向上させ、市場価値を高めることを意識している説明も聞いた。これは福祉ではなく、企業就労の場だとの念押しもあった。実際に働ければ、もっと詳しいことが分かると思う。

 幸い、私は体験期間中に企業様との面接予定日を決めていただけた。大手企業の特例子会社で、茨城のとある市の「ふるさと納税」返礼品の制作にも関わっている会社だという。ステンレスアートの切り絵が目を引いた。

 特例子会社(とくれいこがいしゃ)とは、日本法上の概念で、障害者の雇用に特別な配慮をし、障害者の雇用の促進等に関する法律第44条の規定により、一定の要件を満たした上で厚生労働大臣の認可を受けて、障害者雇用率の算定において親会社の一事業所と見なされる子会社である。
(Wikipediaより引用)

 私は、日本初の就職氷河期世代の当事者団体「就職氷河期世代当事者全国ネットワーク(氷河期ネット)」の会員で、志ある起業家と自営業者たちが集まる「立志財団」の会員でもあるので、日本版ソーシャルファームの今後には大変興味をおぼえた。
 母は園芸が趣味だし、立志財団の会員さんにも農業をされてる方がいる。また2020年2月に奇跡的なタイミングで参加した「ロスジェネ食堂」では「医食同源NAU はこぶね組合」さんから無農薬野菜の提供をいただいたことを覚えている。共通の話題が持てそうで楽しみだ。

 果たしてソーシャルファームは、コロナ禍が生んだ混迷の世界で障がい者や氷河期世代の心を照らす「闇夜のオーロラ」となり得るか。ひきこもりの人にも、雇用の道が開けるといい。ベーシックインカムとソーシャルファームは、もしかすると互いに補い合う関係になるかもしれない。

 私は来週に自宅近くの松戸ファームでの面接があるが、おそらく一般企業ほど身構えるものでもないと思う。給料は最低賃金で賞与もなしだが、人生の経験値と小説のネタ探しを目的に働いてみるつもりだ。何かあればまた、レポートを書くと思う。

 桃栗三年、柿八年。私が作家として芽が出るまで、まだまだでしょう。

アーティストデートの足しにさせて頂きます。あなたのサポートに感謝。