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デザインの性善説と性悪説| デザインの科学②

デザインは説明ができなければならない。とか言いつつも、雰囲気だけでも良いもは良い。みたいなノリで決まってしまうことも少なくない。

両者の狭間で揺れ動くことは良くあることだ。

僕も、ダイソンを買ってしまった。
使い勝手を考えれば日本製の掃除機の方が良いとわかっているのに、結局はダイソンを選んでしまった。

何となく、武器っぽくてかっこいいから。

今回は、デザイナーが日々の提案をしていく中で、デザインの力をどこまで信じるべきか、と言う話ではなく、性善説と性悪説の視点を使い分けることで、今後の判断材料になるのではと思い書きたいと思います。

「性善説」と「性悪説」の違い

そもそも性善説と性悪説とは何か?についてググってみると、中国戦国時代の哲学者、孟子と荀子の教えに遡ることになります。

まずは、性善説をとなえる孟子先生が言うには、「人は本来、善であり、努力を惜しまなければ立派になり得る」らしい

「ほな、デザイナーが頑張ればデザインは良くなるやないか」

ところが、性悪説をとなえる荀子先生が言うには、「人は生まれつき誤った道に進みかねないので、後天的に努力しないと立派になれない」と言うことらしいねん

「ほな、デザイナーに頑張ってもらわなデザインはよくならんとちゃうか」

???... どちらも頑張れってことやないか!

このように、性善説、性悪説、どちらも努力さえすれば人は良くなると言っているので、どちらかが悪いと言うわけではなさそうです。

ではどの様な違いがあるのか、注目するべきは問題が起きるタイミングに対し、どのように備えるかが重要となります。
デザインを進めていくにあたっての問題は “解釈のすれ違い” が、それにあたるだろうと考えます。と言うことで、どんなふうに擦り合せを行うかがポイントと言えるでしょう。

ファシリデーションする性悪説

性悪説でデザインを進める場合。解釈のすれ違いが起こって当然” という前提になるので、すれ違いが発生しないように対処しながら進めなければいけません。

これ為、モックアップやカンプを作成する前に、一緒にカスタマージャーニーマップやデザインスプリントを行うなど、体系的な合意形成がとれる工程が大切になります。お互いの相違点を減らし、正解を導き出していくイメージです。事故も少なく平和的にものづくりができそうです。

しかし、市場の変化によるビジネスチャンスや、新しい技術によって、関係者やメンバー間の合意を得た後も、根底が覆ることも少なくありません。
実際に、新規のプロダクト開発で、数ヶ月前に作ったはずのジャーニーマップが機能しないまま化石化しているケースは良くあることです。

その度に、またファシリテーションを行うので、コストもかかりますし骨が折れるでしょう。
まさに努力無くしては成功なしと言った感じです。

プレゼンテーションする性善説

性善説でデザインを進める場合。形が見えてくるまではデザイナーやエンジニアの情熱に任せて、あとはパフォーマンスをどこまで引き上げられるかに重点を置きます。

相違点をなるべく減らす性悪説に対して、楽しさ、心地よさなど、感動に直結する体験を深ぼることが性善説の特徴です。その為、稀に創造性が非常に高く、“共感を集める” アウトプットを生み出す可能性を秘めています。

共感を集める側に立つことで、プレゼンテーションも「伝える」ではなく「伝わる」魅力を持っています。

Appleのマーケティング部門は、開発チームの隣に配置され、エンジニアのモチベーションや情熱、その製品が人の生活にどのような影響があるかを理解し、消費者とのコミュニケーションを図っていたと言う話は有名ですね。

しかし、性善説の難点としては再現性が低く、いつでもヒットが生まれるわけではないということ、同じように再現しようとすれば逆にチープなものになってしまうことさえあります。

2つの役割分担

ここまでの説明でお気づきかと思われますが、性善説と性悪説はどちらか一方を選択して進めなければならない訳ではないということです。
はじめに述べたように、両者の特性を理解して判断していくことが重要となります。

今回のように、性善説がプレゼンテーションならば、性悪説がファシリテーションの役割が重要となりそうです。それぞれの手段を使い分けることでポイントが見えてくると考えられます。

例えば新規開発の初期は、性悪説で関係者やメンバーの合意を取りつつも、モックアップなどの段階では、柔軟に性善説も取り入れながら進めることで、発明の芽をつんでしまわないように注意することは必要になりそうです。

既存サービスでも、大枠は性悪説で進めながらも、それだけに縛られすぎると、思うような結果が出なかった場合に全員のモチベーションが低下してしまう可能性があります。そんな時には、性善説に切り替えて事態を好転させるきっかけに使ってみても良いでしょう。

この両者の切り替えは経験を活かした判断が大事になりそうです。

さいごに

もはやデザインの話ではなくOKRの話です。
Objectivesに対する細かいKeyResultの内訳を聞いたときに、理想へ繫がる目標のイメージを持つことができても、駆動するイメージが持てないことがあります。
多分そこには、人の感情や感性に直結する性善説の部分が置き去りになっているのではないでしょうか。

実は、性悪説はリファレンスとして残しやすく、転用も容易になため、一度手にしてしまうと性善説の思考が薄まってしまう傾向があります。

「金槌を持つと釘を探したくなる」なんてことを言うけど、視界を狭めてしまう状態に近いのでしょう。

本当に、アイデアや目標を駆動させたいと思ったら、性悪説の中にも性善説につながる回路を仕込んで置かなければならないのだと思います。

駆動しはじめたアイデアや目標には、「そのプロダクトを自分も使ってみたい」とか「その目標に自分も便乗してみたい」と思える筈なのです。デザインの可能性とは、そう言うものの様な気がします。

ダイソンにはそれがあり、買ってよかった。

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