「マンボウ」だとか「五輪」だとか~ 北杜夫著『父っちゃんは大変人』~

2021年4月、何だか「マンボウ」という言葉が飛び交っている。
あのボーーーッとした(失礼)魚ではなく、「まん延防止等重点措置」という言葉の略だという。

しかし、「マンボウ」といえば「どくとるマンボウ」こと北杜夫氏ではないのか。

北杜夫氏といえば独特のユーモアあふれる物語で、ちょっと(というか、かなり)浮世離れした登場人物を魅力的に描く作家である。
『ぼくのおじさん』などもそうだが、中でも突出して浮世離れしている人物といえば、『父っちゃんは大変人』(文春文庫、1984年)の「父っちゃん」こと桜井伝吉氏をおいて他にいないだろう。

代々大地主である家に生まれた伝吉氏は、父から相続した土地をあっさり売り払いそのお金で放蕩生活を送るが、すぐに資金が尽きてしまい、四畳半の古い下宿屋に妻と中学生の息子と3人で暮らしている。
元々が大地主の家系からか仕事も長続きせず、50歳を過ぎた今も、兄から毎月送られてくる5万円の仕送りで、何とか生活している有様。

趣味はうっぷん晴らしを兼ねた「モグラたたき」で、好きな食べ物は「インスタントラーメン」。

そんなある日、伝吉氏は堅実に資産を増やし続けていた兄の突然の死(弁護士曰く「御遺産のほとんどを、すべて国に寄付なさろうと(略)ところが、御遺言書を作成なさらんうちに御急逝あそばしました」)により、莫大な遺産を相続する。

それから伝吉氏の、我々の想像を遥に超えた「破天荒」な生活が始まる。

物語の語り手は伝吉氏自身ではなく、中学生の息子である。
彼の目から見た父親が紹介されるため、読者は講談や落語を聴くように伝吉氏の奇行を第三者として無責任に楽しめると同時に、巻き込まれた家族に同情しながらも物語を読み進められるのである。

たとえば、こんなエピソード。

時は1980年。
当時、ソ連のアフガニスタンへの軍事侵攻に抗議してアメリカが表明したボイコットに追従して日本も不参加を決めたモスクワ五輪に、「デンキチ王国のデンキチ人」として出場してしまうのだ。
水泳では、もう誰も見たことがない日本古来の泳法「のし」で泳ぎ、柔道では受け身もできず気絶してしまう。

それだけではない。
伝吉氏は、なんとプロ野球の「中日」の監督に就任するのである。しかも、「日本人監督」ではない。

「新しい監督として、デンキチ王国国王、桜井伝吉氏を起用することに決定した」

伝吉氏は就任前に、「デンキチ王国」として独立を宣言し、自ら「国王」になっていた。

就任初日は甲子園球場で、中西監督率いる「阪神」と対戦。
この試合、素人監督がサイン間違えて出し、それが野球のセオリーと違っていて結果的に奇襲になったりと、抱腹絶倒の試合を展開するのだ(当然、その後解任されるのだが)。

で、「デンキチ王国」はその後どうなったかと言えば、なんと、日本国に宣戦布告するのである。しかも、ちゃんとした「軍隊」を組織して。


とにかく、桜井伝吉氏が魅力的だ。
突然大金持ちになって浮かれ三昧で散財し、後に国に相続税をガッポリ持っていかれると、一転して大ケチになってしまう。かと思うと、このままでは悔しいとばかりに金儲けを企て、それが上手くいくと調子に乗って五輪出場だ、独立だと大騒ぎしたり…


しかし、北杜夫氏は単に荒唐無稽なユーモア小説を書いたわけではない。
しっかりとした「社会風刺」を、たっぷり利かせているのだ。

ソ連に対する毅然とした抗議ではなく、親分であるアメリカに唯々従ってモスクワ五輪をボイコットするしかなく、さらには、自国の経済に関してもケチなことしかできないといった、情けない日本国を皮肉っている。
だから北氏は、伝吉氏を五輪に出場させ、「デンキチ王国」を独立させるのだし、最終的に日本と戦ってみせる。
こういった「社会風刺」がベースにあるため、読者は一見デタラメに思える伝吉氏の物語に胸がすく思いを感じるのである。


と、それらしいことを書いてみたが、本当にそうだろうか?

作者はあの「北杜夫」なのだ。
「マンボウ・マブセ共和国」として独立を宣言し、貨幣まで発行した、あの「北杜夫」なのだ。

大の阪神ファンで、大のアンチ巨人だった、あの「北杜夫」なのだ(だから、ちゃんと野球がわかっているので伝吉氏が監督になる話で奇襲が書けるのである。それにしても、伝吉氏を「大好きな球団の監督」ではなく、「大好きな球団と対戦する監督」に仕立てているのは面白い)。

だから読者は、伝吉氏のモデルは作者自身だと思って読み進めるはずだ。
ところが意外な結末が待っている。

日本国に敗戦した伝吉氏は、すっかりおとなしくなってしまう。
それで息子に困ったことがなくなったかというと…

ある、ある、たった一つある。それは俺たちのアパートの隣に、なんとあの北杜夫なる作家の家があることだ。おまけに北杜夫の奴、また三年ぶりかに大躁病になりやがって、真夜中に奇声をあげたり浪花節をうなったりする。

「モデルは自分ではない」と明かしたあと、物語はこう結ばれる。

父っちゃんはたしかに大変人であったが、その次の変人はおそらくあいつだろうなあ。


「隣家の桜井一家の物語を書いた自分が、今度は現実世界で同じことをするかも」と、自身の躁うつ病をネタにしたオチなのだ。
なんと良くできた物語だろう!


桜井伝吉氏が出場した(とされる)1980年のモスクワ五輪。
日本はボイコットして選手や国民を失望させた。
それから40年後に開催予定だった五輪は1年遅れとなったが、本当にこの日本で開かれる……のだろうか?
もし、現在の日本に桜井伝吉氏がいたら、どのような行動をとるだろう?
想像するのが楽しくもあり、やはり、ちょっと怖くもなるのである。

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