足元の日常を見つけ直す~荻原浩著『極小農園日記』~

2021年夏、東京を始めとして日本各地で「緊急事態宣言」及び「まん延防止等重点措置」で不自由な生活を強いられた(2021年9月23日現在も継続中。このところの感染者数の減少状況から9月末をもって解除されるという微かな期待も出ているが、度重なる延長で何度もがっかりしてきた私は信じていない)。

この「緊急事態宣言」を憲法の観点から見ると、最初の緊急事態宣言発出時にYahoo!ニュースに寄稿された、武蔵野美術大学教授(憲法、芸術関連法)の志田陽子氏の『緊急事態宣言と「集会の自由」―― 「表現の自由」のために今「自粛」を呼びかける理由』によると、『憲法25条1項は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定め、同条2項は「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と定めている』(太字、原文ママ)。

そのさい、国は、不当・不要な人権制約を引き起こさないよう、そのバランシングには細心の注意を払うことが求められる。ここで、事柄の性質上、制約が起きるのが、「幸福追求権」(憲法13条)、「移動の自由」(憲法22条)、「経済活動の自由」(憲法22条・29条)、そして「表現の自由」(憲法21条)の中の「集会の自由」である。

(同記事より)

と、憲法上での制限を受けているのだが、そんな堅苦しいことではなく、実感上では「日常のあらゆることが制限されている」と感じている。
それによって何だか「ずっと浮足立っている」感覚に苛まれ、無意識に「しなくていい非日常」という不自由な生活を自らに課しているような気さえしている。

そんなことを思ったのは、作家・荻原浩氏のエッセイ集『極小農園日記』(毎日新聞出版、2021年。以下、本書)を読んだからである。
本書は、著者の自宅の庭の一角につくった「極小農園」(「家庭菜園」ではないらしい。2008年~09年の毎日新聞連載に2017年の書き下ろしを追加)についてのエッセイ及び、JR東日本車内誌『トランヴェール』に2013年~14年に連載されたエッセイを中心に、その他色々な雑誌などに掲載されたエッセイを集めたものだ。

現在、けっして日当たりの良くない狭い庭の、そのまた一部である総面積約4平方メートルの農地(略)で、せこせこと野菜づくりに勤しんでいる。

2008年の連載開始時こう綴っていた農地は、2017年単行本描き下ろし時点で『当社比約1.45倍ぐらい』まで拡張されている。
とはいえ、連作障害(『同じ作物を翌年、同じ場所でつくると、きちんと育たない、育ったとしても悪しき結果となる現象のことだ。連作をすると、土壌の養分や微生物のバランスが崩れ、病害や虫が発生しやすくなる』)を鑑み、いつどの野菜を植えるかに悩み、植えたら植えたでその生育を心配し、やってくる虫や雑草たちと格闘する日々には変わりがない。
そして迎えた収穫時、期待通りに育つことはあまりなく、生育の悪さにがっかりし己の育て方が悪かったと心を痛め、しかし飽くることなく次に何を植えるかに想いを馳せる…。

育てる人間には大いに関係があろうが、作物にとってはコロナ禍なんて関係がない。著者の自宅の庭の一区画での話。
しかし、そこで日々少しずつ変化する(でも芽が出たり、花が咲いたりって、ある日突然の劇的変化だったりするが)庭の様子は、我々読者にとって、足元を見直し、少しでも「日常」というものを取り戻すための「養分」になるのではないだろうか。
私は、家庭菜園やガーデニング…要するに植物を育てることに興味がないし本書を読んで始めようとも思わないが、少なくとも忘れかけていた「日常」というものを思い出し、自分の周りにあるはずの「足元の日常」に目を向けてみようと思ったのである。

もう一つの軸である『トランヴェール』の連載も同様である。
JR東日本の車内誌に掲載されたものだからか、旅先での「観光」や「お勧め」といった情報ではなく、今読んでいるであろう車内での気分を盛り上げるような道中や帰途のエピソードや、ちょっとした時間つぶしになるような軽い読み物などが中心になっている。
有名な観光スポットより、その周辺を何気なくフラッと歩いていて『地元の学校(高校が多い)の校舎に掲げられた』『祝 全国大会出場 □□選手』といった懸垂幕を見て旅情気分を感じてしまう。それは、その土地を「観光地」ではなく、「生活地」として暮らす地元の人々の日常が垣間見え、旅行者自身の「生活地」と「日常」を相対化することにより、さらに「生活圏でない場所に来た」ことを実感できるからだ。

大切なのは、自分が日常を暮らしている「足元」を見つけ直すことだ。
そこにはコロナ禍の不安な生活の中で見えなくなっている、かけがえのない「日常」があるはずだ。

改めてそんなことに気づかせてくれるエッセイ集だった。

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