ラッパ屋公演 舞台『七人の墓友』

日本人にとって「お墓」とは何だろう?
本人は死んで「お骨」になっていて、(現代の科学至上主義の世の中においては)自身としての感覚も思考もないのに、その「お骨としての自分」が「眠る」場所を生きているうちから気にしてしまう。

ラッパ屋公演『七人の墓友』(鈴木聡作・演出。以下、本作)は、創立40周年を迎えた劇団と、共に年を重ねてきた観客にとって、身につまされる物語となった。

夏のある日。吉野家の自宅の庭では、年に一度のバーベキュー大会が開かれようとしている。父・義男(俵木藤汰)、母・邦子(弘中麻紀)のもとに3人の子どもたちが集まり、それぞれが近況を報告し合うという恒例行事だ。義男の友人・栗原(おかやまはじめ)もやってきて、楽しい宴が始まった。
義男はそろそろ長男の義和(宇納佑)と同居したいと期待していたが、驚くことに妻・美枝子(ともさと衣)の実家で義父と一緒に暮らすと言い出した。40代で独身の長女・仁美(岩橋道子)は結婚する気配のかけらもなく、次男・義明(中野順一朗)がニューヨークから連れて帰ってきたのは同性のパートナー(浦川拓海)。保守的な義男にはすべてが受け容れられず、気まずい雰囲気になっていく。そんな中、義男の妻・邦子がどさくさ紛れに信じられない発言をする。
「あなたと同じお墓には入りたくない。
死んでまで一緒にいなくていい」
衝撃を受ける義男。どの報告よりもセンセーショナルな邦子の告白に動揺を隠せない義男。それは果たして冗談か、本気か。混沌とした状況のまま、バーベキュー大会はお開きになる。
友人の別れ話に立ち会うためにファミレスに入った仁美は、見知らぬ五人(松村武、谷川清美、大草理乙子、武藤直樹、岩本淳)と何やら相談している邦子を見かけた。邦子ら六人は、仲間と共に入るお墓について話し合っているようだ。
そこで彼氏(林大樹)と別れたばかりの仁美の友人・遥香(桜一花)も話に加わり、「墓友」は七人になり……。

本作パンフレット「あらすじ」
(俳優名は引用者追記)

本作は2014年に俳優座に書き下ろしたもので、物語背景はコロナ禍を経験しておらず、また、東日本大震災当時の「絆ブーム」が薄らいできた平穏な(というと茶化しているように聞こえるかもしれないが、震災後の「絆」に貢献したSNSが、2010年代後半以降に絶望的なまでの分断を生むという強烈なバックラッシュを起こしたことを考えると、やっぱり2014年当時は、平穏で(SNS環境的に)牧歌的だったと言えるし、「絆ブーム」が下火になったからこそ、また「お墓問題」を口に出すことができるようになったのだ)時代である。

物語は、仁美の不倫相手(熊川隆一)、ファミレス店員(磯部莉菜子)、「墓友」たちの弔いを任された寺の住職(木村靖司)を巻き込み、劇団の持ち味である(夫婦の墓問題を扱いながらも)ほのぼのとした笑いに包まれる展開となった。

ラッパ屋は不思議な劇団で、先にも書いたとおり、長年連れ添った夫婦の墓問題という、(こちらも40年連れ添ってきた)観客にとって(現実的に)身近な問題を扱いながらも、決して現実に引き戻されることなく物語に没入し、終演後は「あぁ、面白かった」と笑顔で劇場を後にできる。
それは、作・演出を手がける劇団主宰の鈴木聡のポリシーでもある。

喜劇は、なにがなんでもお客さんに希望を提出しなきゃいけない。(僕の信条です。なにしろ喜ばしい劇ですからね)。

2021年7月 第46回公演『コメンテーターズ』リーフレット

現実と物語の絶妙な距離感が良いのだと思うが、それは恐らく絶妙なカリカチュアと記号化によるものだ。
本作で言えば、会社員として高度経済成長を支え、一家の大黒柱として家族を支えたという自負がある昭和の遺物のような頑固親父である義男が勤め上げた会社が、実際に固いものを造っている鉄鋼会社だったり、ライターの仁美が雑誌の編集長と不倫しているなどは、絶妙なカリカチュアと記号化だろる(あと、現実的なファンタジーとして。「墓友たちが眠る場所が桜の木の下」というのはとても大きな要素だ)。

さて、物語は、冒頭に書いたとおり『日本人にとって「お墓」とは何か』を観客に考えさせつつ、しかし、意外なところに帰着する。

昭和の遺物的頑固親父は、自身のせいで子どもたちの反発を買い、最終的に妻の決断によって、信じ切っていた「昭和の理想/成功譚」のはしごを外されてしまう。それは彼にとって、家族(=「家長」としての自分)の崩壊を意味するものだった(このときの義男の男泣きは、昭和生まれの私にとって胸に来るものがあった……が、それは長男なのに家を継がず同居もせず家族も持たないと宣言した私という息子を持った、実父を想ったからだ)。

「さあ、どうなる?」という物語は、当然観客の期待を裏切らず、頑固親父がみせた、自身で喪服を探して寺へ行くという「ささやかな純情(この魅せ方が本当に絶妙!)」で、ささやかな希望を見いだす(舞台上手奥から、ゆっくりと前に歩き出した俵木さん(だからこの辺が劇団員の「当たりキャラ」というところ)を観ただけで泣きそうになって、頭を下げた俵木さんを観て、ちょっと泣いた)。

しかし、物語は観客の期待を鮮やかに裏切る(きっとそれも、観客の期待どおりだ)。
ラスト、仁美の短い一言で、『七人の墓友』の意味が裏切られ、実は「友」ではなく「家族」の関係を描いた物語だったことが明らかになる。
崩壊しかけた昭和の家族は、令和に「再生」されたのではなく、「再構築」されたのだ。

と、物語はほのめかす
明確な結末は提示されない。
当然だ。幕が下りても、吉野家の人生は続くのだから。

誰かが墓に入り、誰かがその墓を参り、その誰かもまた墓に入る……
その間に誰かが出会い、誰かが生まれ、その誰かが誰かの墓を参る……
そうやって吉野家の人生は続いていく。

吉野家の再構築は「生きている今を大切にしよう」というメッセージでもあり、約2時間半、吉野家の人生に袖すり合った我々観客にとっての「希望」となる。
だから観客は、「あぁ、面白かった」と笑顔で劇場を後にできるのだ。

我々観客は、鈴木聡の「喜劇の希望」を確かに受け取って劇場を後にする。だから、劇団は40年続いていて、この先もずっと続く。
それは我々の「希望」である。

メモ

ラッパ屋創立40周年記念/紀伊國屋ホール開場60周年記念
舞台『七人の墓友』
2024年6月28日。@紀伊國屋ホール

だから、本作は「お墓とは何か」ということに対する解答は示さない。
個人的には、遥香が男に振られて七人目の「墓友」になる前に仁美に言った言葉に100%同意する。
遥香は最終的にそれを撤回する(たぶん)が、もうすぐ54歳になる私は、(干支一回り年下の)仁美の年齢の頃に、既に実行に移している。
私には既に入る墓があり、その理由は遥香がまくし立てたとおりのものだ。


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