麦本三歩の世界で作者の術中にはまる

麦本三歩むぎもとさんぽという人間がいる。
三歩のことを知らない人に、彼女がどういった人物であるか、例えば周囲の人々が説明するならこんな風に言うだろう。ぼうっとしている、食べすぎ、おっちょこちょい、間抜け。

住野よる著『麦本三歩の好きなもの 第一集』(幻冬舎文庫、2021年)という小説の書き出しである。

麦本三歩は大学図書館に勤める新米司書。
新米であるのに加え、先のような性格の三歩は、毎日大なり小なり何かしらのミスをして「怖い先輩」に怒られる。
三歩はその度にしょげたり反省したりするが、持ち前のポジティブさと、日々のささやかな「好きなもの」で、何だかんだ結局は機嫌良く過ごしている。
だから全然成長せず、同じようなミスを繰り返してしまう。

三歩の同僚は、「怖い先輩」の他に、その先輩の「優しい先輩」、リーダー的立場の「おかしな先輩」(いずれも三歩が心の中だけで呼んでいる「脳内呼び名」)という女性たち。

小説は紹介に書かれているとおり、「三歩の日常を描いた心温まる連作短編集」であり、「麦本三歩は〇〇が好き」という、それぞれ好きなもの(「生クリーム」だったり、ある時は「君」だったり)で章立てされた各短編は、物語として良くできている。
特に、私がオヤジだからか、「麦本三歩は君が好き」の結末はグッときた。

が、しかし、である。

とても読みにくい。なかなか先へ進めない。

三人称一元描写にメタが入ったような文体。
物語世界は三歩の視点に固定されていて、他の登場人物は三歩の視点からしか描かれず内面は語られない。
だから本来、語り手は三歩の描写に徹するはずである。
だが、この物語では、その立ち位置が曖昧で、時に読者のように三歩にツッコミを入れたかと思うと、ある時は三歩になりきったりする。
語り手は三歩を俯瞰しているわけではなく、「三歩の中にいる守護霊」のような存在?
たとえば……

まあ何はともあれ無事でよかった椅子に座ったのは賢明だったね、とおかしな先輩は三歩が思わず口にしてしまった失礼な脳内呼び名をスルーしてくれた。あっぶねー。
三歩は目をシバシバさせながら立ち上がる。(略)
光に目が慣れるのを待ち、もう一度立ち上がると今度は大丈夫だった。

最初のセンテンスは語り手が状況説明しているが、最後の『あっぶねー』は三歩の心の声なのか、それとも語り手の声なのか。
そして、最後の一文は誰が発したのか?

終始そんな感じで語り手の立ち位置が安定せず、混乱して読みにくい。

本稿の冒頭で引用したが、この小説は作者による読者への語りかけとも取れるような書き出しのため、最初から作者の存在が読者に意識されている
これが、作者が物語を書きながら自分で登場人物や物語の展開にツッコミを入れるメタ構造を可能にし、さらに「楽屋落ち」の効果も生む。
だから、『あっぶねー』は三歩でも語り手でもなく、「読者の声を代弁した作者の合いの手」という解釈もできる。
まぁ、結局のところ作者が読者に意識されている以上、先の文は誰の視点であれ読者は気にせず読めるのだろう。

ということで、単にこういった文章に慣れない私が苦労しただけなのだろう、と一応納得してみる。

それでも、依然として私の読みづらさは解消しない

何故なら、私は三歩という人物が根本的に苦手だからだ。
失敗ばかりしているのに立ち直りが早く、同じような失敗を繰り返す。
そのくせ、たった一度のズル休みが「おかしな先輩」にバレたと知ると、それを気にして何日も落ち込んでしまう。
自分勝手で天然なのに、「優しい先輩」はもちろん、ミスを叱ってばかりの「怖い先輩」にも、結局は可愛がられてしまう三歩に共感できないのだ。

だが、そんな私の苦手意識など作者はハナからお見通しだ。
物語の終盤、作者は「おかしな先輩」にこう言わせている。

「三歩のそういうとこが可愛くて仕方ないって、あの鬼教官みたいな子もいるけど、私は違う。なんなら、三歩みたいな子は、好きじゃない」

(私が嫌いなタイプのストーリーは)子どもだったり、違う世界から来てたり、世間知らずで抜けてたり、そういうスレてない人間の価値観で、周囲にいる大人の凝り固まった価値観を揺るがしちゃう系。まるで、スレながら一生懸命生きてる大人達が間違ってるみたいで、嫌になる」

つまり、読者に三歩がどう思われるのかも、物語がどう理解されるのかも計算ずくの作者が、「おかしな先輩」の口を借りて、自身が造った物語世界にツッコミを入れているのだ。

(ちなみに「おかしな先輩」=「作者の分身」と仮定すると、先の「あっぶねー」は、『スルーせず反応しちゃう(=反応させちゃう)とこだったぜ、あっぶねー』という、「おかしな先輩」の気持ち=作者の「自分ツッコミ」とも誤読可能


最終話。
ちゃんと三人称一元描写で書かれ、三歩が成長しそうな予感を漂わせつつ、爽やかで気持ち良い物語で締め括られる。

あー面白かった。
満足して本を閉じた私は、まんまと作者の術中にはまっていたことに気づく。
さすが、ベストセラー小説『君の膵臓をたべたい』の作者……


2021年2月に続編が発売された。

果たして三歩は少しでも成長しているだろうか?

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