浪花節はいいなぁ~映画『絶唱浪曲ストーリー』~

以前、Yahoo! ニュースで、『仕事中のタバコ休憩は容認できるか』的なタイトルを見かけたことがある。記事の中身を読んでいないので見当違いの感想になるかもしれないが、そのとき私は「ちゃんと結果を出していれば、どっちでもいいじゃないか」と思ったのだった。
こんな記事が出るのは、恐らく、日本人にとっての"仕事"は、結局、「自分の時間を売っている(会社に時間を買ってもらっている)」という感覚だからではいか。
だが、"仕事"という漢字は、「ことつかえる」と書くのであって、「時間」に仕えているわけではないのだ。だから、個人的には「事」に仕えて、ちゃんと結果を出していれば、規定の就業時間に拘束される必要もないんじゃないか、とも思う(と言う私も、もちろん就業時間に縛られた生活をしているが、あくまでも「原理的には」ということで)。

で、「自分の時間を売っている」という仕事観を持つ人にとって、全く理解できない職業の一つが、厳しい「徒弟制度」が残る「芸人」だろう。

たとえば、ドキュメンタリー映画『絶唱浪曲ストーリー』(川上アチカ監督、2023年。以下、本作)の主人公である港家小そめなぞ、全く理解不能だ。
何せ彼女は、俳優からチンドン屋(若い人にわかるだろうか?)を経て、浪曲師に転身したのだ。チンドン屋も浪曲師も、甚だ時代錯誤とも云える徒弟制度が残る世界。もちろん彼女も、どちらも師匠の元に弟子入りし、修行をしているのだ。

(若手が入ってこないからチンドン屋・浪曲界にいる人たちは)爺さん婆さんなんですけど、みんなパンクではげしい。老人は大人しくて心が広いという概念をくつがえされまして……

確かに、本作は冒頭から烈しい。
小そめの師匠・港家小柳に対して曲師(浪曲師の傍らで三味線を弾いたり合いの手を入れる人)の玉川祐子は、机をバンバン叩きながら激しい口調で説教をする。ともに80歳、90歳を超えている婆さんなのに。

この烈しさは芸に直結し、スクリーン越しであっても(或いは、カセットテープに録音されたものであっても)、浪曲なんてほとんど聞いたことがない私の心を激しく揺さぶる。まさにパンクでソウルだ。
たまたま観た師匠・小柳の芸に「稲妻の一撃」を喰らったという、小そめの弟子入り理由にも、大きな説得力がある。

本作で圧巻なのは、その師匠・小柳が話を切って『大変恐れ入りますが、今日はこれにて失礼させていただきます』と舞台を降りてしまう場面だ。
声が出ず、これ以上恥をかきたくないという彼女は、それ以降、亡くなるまで舞台に戻ることはなかった。
会社員の私にとって、このシーンは衝撃だった。
私には、社会から言い渡される「定年」という"区切り"がある。
それはそれで理不尽な制度ではあるが、だがそれによって、そこで辞めるか否か、「定年以降」をどう生きるか、予め考えることができる。
逆に、自分のパフォーマンスが落ちたとしても、社会(会社)から見限られない限り、"区切り"を前に仕事を辞めなくていい(それこそ、「時間を売っている」と割り切ってしまえば気も楽になる)。
50歳を超えて"区切り"が見えてきた私は、パフォーマンスが落ちて「恥をかきたくない」と舞台から降りてしまった小柳の姿から目が離せなくなった。

上述したように、小そめが浪曲界に入った理由は『自身の概念を覆されたから』だが、それは今の世の中の概念にも当てはまる。彼女は言う。

今、ちょっと住みにくくて、今現在が。きれいすぎるっていうか。きちんとしすぎているっていうか。息苦しいっていうか。(略)しんどいんですよ、今、今の世界が。みんなギスギスしていて

コンプライアンスが重視され、ブラック企業がやり玉にあげられ、「働き方改革」が叫ばれる今、それらによって確かに「社会的としてあるべき姿」に向かっているのだろうとは思う。それらにケチをつける気はない。
しかし、そんな世の中で暮らしていて、果たして良い世界に向かっていると実感できているだろうか?
どちらかといえば、小そめの言葉の方が肌感覚として納得できるのではないか。

浪曲で語られるのは、きれいじゃない愛憎・情念-それも、とびきり烈しい-世界だ。

本作冒頭の小柳と祐子のやりとりは、元々「娘(小そめ)遅い」というところから始まっている。祐子の説教によって気まずい雰囲気がスクリーンの内外に漂い始めた頃、小そめがやってきて3人で一節唸る。
唸り終えた後、老婆2人の気まずい雰囲気は一変し、やり遂げた充実感を漲らせた晴れやかな表情で、口々に言うのだ。

『浪花節はいいなぁ』

「事に仕える」とは、きっとこういうことなのだろう。
「会社に時間を売っている」という働き方をしている中で、果たして、『仕事っていいね』と心から言える瞬間は訪れるのだろうか。

メモ

映画『絶唱浪曲ストーリー』
2023年7月15日。@渋谷・ユーロスペース




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