舞台『こどもの一生』

2022年、かつて日本の演劇界を恐怖で震撼させた「山田のおじさん」が、「よろしいですかぁ?」と、10年ぶりに帰ってきた。

舞台『こどもの一生』(中島らも作、G2上演台本・演出。以下、本作)は、1990年「売名行為」という劇団で初演された後、1998年「パルコ・リコモーション提携公演」として上演され、2012年のPARCO版再演を経て、2022年PARCO版の三演目の上演となる。

その全てで演出を担ったG2氏が本作パンフレットにこう寄稿している。

PARCO劇場での初演は1998年。小劇場というジャンルがまだ花を咲かせていた時代でした。(略)生瀬勝久、古田新太、升毅ら関西の小劇団出身の俳優を中心とした座組で、伸び伸びと仕事をさせて頂き、おかげさまで大ヒット。

パンフレット G2「ご挨拶」

私はPARCO初演を生で観ておらず、BSで放送されたものを録画し、ある日の夜中に何の気なしに見始めたのだったが、見終った(結局全部見た)後に激しく後悔した。

古田新太氏演じる「山田のおじさん」が怖すぎたのだ。
話の筋は覚えていないのに、何故か「山田のおじさん」の口癖である「よろしいですかぁ?」が忘れられなくなった。
それほど強烈なインパクトだった。

覚えていないのだから、本稿では「話の筋」は紹介できない。

それほど怖かったのに(怖かったから?)、話の筋を覚えていない私は、2012年の再演をいそいそと観に行ってしまったのだ。
入江雅人氏の「山田のおじさん」も怖かったのだが、それ以上に吉田剛太郎氏が演じる「三友」があまりにもムカつくキャラ(のくせに「みっちゃん」になると可愛くなるというギャップ萌え)だったので、そっちで気をまぎらわすことで、終演後は夜道を歩いて帰れた。

そして10年後。今回の三演目。
すでに「山田のおじさん」役がROLLY(ex.すかんち)氏というだけで、怖い。
しかも「よろしいですかぁ?」の声が、どことなく古田新太氏に似ていなくもない……

と、まぁ、ここまで怖い怖いと書いてきた本作だが、舞台上で「山田のおじさん」が人を殺したり暴力を振るったりといった恐ろしい事をやり続けるわけではない。
その恐怖は、残酷・残忍といった類のものではなく、冒頭の「こっくりさん」に象徴される、「自分たちの空想で作り上げた現存しないはずの"何か"が出現した」ことによる不気味さだ。

本作では、その解を「空想するから現出してしまう」ことに求める。
つまり、「空想した時点で(頭の中でであろうと)存在するモノになってしまう」ということだ。
それは、柿沼(松島聡(Sexy Zone))の存在自体が実証している。
本作の結末に、はっきりとした「正解」があるのかないのか知る由もないが、ラストに残された謎を解くカギは、実は柿沼自身なのではないか、と疑ってみる。

ちなみに、インターネットなどが一般に普及する以前の1990年に初演された本作は、再演ごとに時代に合わせて改編されてきたが、「山田のおじさん」が出現する経緯は同じだ。
その経緯とは、端的に言えば「仲間外れ」であり、それは、ある特定の情報を「知っている者」が「知らない者」を排除する形を、意図的に作り出すことによって実現させている。
そして排除された者が、その情報を逆手にとって復讐を画策する……

高度に発達したネット社会となった2021年1月のアメリカ。
「高圧的で攻撃的で自分が一番じゃないと気が済まない男」が「仲間外れ」にされた復讐を画策した結果、本当に「山田のおじさん」が現出し、議事堂を襲撃しまった……と考えると、得体の知れない恐怖が沸き起こる。


メモ

舞台『こどもの一生』
2022年4月17日。@東京芸術劇場プレイハウス

ちなみに、上記で引用したG2氏の寄稿はこう続いている。

その後、PARCO劇場での活動は後藤ひろひととタッグを組んだ作品を中心に、定期的に公演を打たせていただくことになります。

パンフレットより

その後藤ひろひと氏とのタッグ第一弾が『人間風車』(2000年)で、これも生で観ておらず、夜中にビデオで見た。
こっちの方が手が込んでいて、最初は下らないギャグなどで面白楽しく始まった物語は途中で激変し、私を恐怖のどん底へ突き落した(最後は感動して泣いていたのだが)。

私を恐怖でガタガタ震えさせたのが、阿部サダヲ氏演じる「サム」。
私は、これで彼をちゃんと知ったのだと思うが、だからこれがトラウマになって、彼がテレビドラマ『マルモのおきて』(2011年)で「善人」として世間から認知されるようになっても、『皆、騙されちゃダメだ。彼は本当は「サム」なんだ!』と密かに思っていたのだった。


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