舞台『命、ギガ長スW』

2022年3月12日。舞台『命、ギガ長スW』(松尾スズキ作・演出)で大笑いし、満足して劇場を出た直後、ふと背中に寒気を感じた。

劇中、卒業制作として「8050問題」のドキュメンタリーを撮っている女子大生が、取材対象の親子が実はその類の報道の「常連」ではと疑い、親子を問い詰めるシーン。

息子(無職・アルコール依存症)が、女子大生に言う。

ドキュメンタリーの人ね、みんなみんな、途中でいなくなっちゃう。
俺の「無職」に理由がないから。
トラウマばっかり欲しがるんですよねぇ。
でも俺、無いの。
奇麗な無職で、奇麗なアル中だから。
何で、それがいかんのですかねぇ?
何で、無職を不幸に見せたがるんですかね?
(略)
俺はただ、一心に奇麗でいつづけたいだけなんですけどね。

劇場を出た後に私が思い出したのは、「(前日に11年を迎えた)東日本大震災関連報道番組が視聴率を取れない」というニュースだった。

コロナ禍で、更には戦争まで起こって、それどころではないのかもしれない。
大きな声では言えないが、単純に「飽きた」のかもしれない。

本当にそうだろうか?
我々は、もっと積極的な理由で「見たくない」と思っているのではないか?

震災から11年が経ち、まだまだ大きく未達ではあるものの当時から比べるとはるかに復興した街で、かつて「被災者」と呼ばれた不幸だったはずの人々が、我々と同じような暮らしに戻った(ように見える)ことが「納得できない」のではないか?
しかも、「元被災者」らは「震災を乗り越えた」という「前向きな感情」を持っている(と我々は勝手に思っている)。
対して我々は、前向きな感情を持って人生を歩んできた自信がない。

かつては”不幸な被災者”と同情という名で見下していた立場の人々が、「前向きな感情」で「震災を乗り越え」、今は我々が持ち得ない「幸福」を手に入れ逆に我々を見下しているのでは、と内心怯えている。
不幸じゃなくなった被災者を見ると、自分たちの立場が揺らいでしまう。
だから「見たくない」のではないか?

『何で、被災者を不幸に見せたがるんですかね?』
息子のセリフがそう聞こえ、この作品は、純粋に面白おかしく笑えるだけのナンセンス・ブラック・コメディーではないかもしれないと寒気を感じた。
この作品は、だから面白いのだ。


メモ

東京成人演劇部Vol.2『命、ギガ長スW』
2022年3月12日[長ス組]三宅弘城×ともさかりえ
@下北沢 ザ・スズナリ


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