映画『プチ・二コラ パリがくれた幸せ』

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「物語」はいつだって、私たちをこの嫌な現実から引き離し、全然違う世界へと連れ出してくれる。この現実を乗り切るために、人々は「物語」に救いを求める。
「物語」に救われるのは、読者や鑑賞者だけではない。それらの作者たちもまた、自身が生み出したものに救われている。

映画『プチ・二コラ パリがくれた幸せ』(アマンディーヌ・フルドン、パンジャマン・マスブル監督、2022年フランス・2023年日本公開。以下、本作)の本編約80分の間、ずっとニコニコしながら観ていた。
元気で活発なニコラやクラスメイトたちが巻き起こす騒動に笑い、そしてその後必ず、少し切なくなった。

本作は、フランスで50年以上親しまれている児童書シリーズ『プチ・二コラ』のアニメ映画化であると同時に、原作者のルネ・ゴシニ(物語)とジャン=ジャック・サンペ(挿絵)の友情の物語でもあるという、「半ドキュメンタリー」とも言える作品である。

とにかく、ニコラを中心とした物語が魅力的だ。学校のクラスメイトたち(みんな男の子)は、やんちゃでケンカっ早くてイタズラ好きで、個性的だが団結力もすごくて、でも、女の子はちょっと苦手……
彼らを取り巻く大人たちも負けず劣らず魅力的で、怒ったり嘆いたりしながらも、みんな彼らを愛している。

彼らが起こす騒動は無邪気な好奇心や競争心が引き金になっている。そして、騒動が収まった後はカラッとスッキリ、決してそれを引きずらない。
その無邪気さと潔さがたまらなく愛おしい。
だから、笑った後、必ず切なくなる。

それは、50年以上前の「古き良き時代へのノスタルジー」ではない。
私以外の観客も、きっとノスタルジーで本作を観ていたわけではないだろう。

50年以上愛され続けている原作や本作が持っているのは、「憧れ」だ。
原作が発表された当時でも、現実はあんなに牧歌的で無邪気な世界ではなく、だからこそ、この物語は『この嫌な現実から逃げ出して違う世界へと連れ出してくれる』存在として求められたのだろう。
そしてそれは、読者だけでなく作者も同じで、本作がそれを教えてくれる。

本作は、物語世界から抜け出してきた小さいニコラが原作者の2人に語り掛ける会話によって、彼らの人生を紹介していく。
物語担当のゴシニは親族をユダヤ人虐殺で亡くし、挿絵担当のサンペは両親に愛されずに育った。若い時には、それぞれ苦労をし、二人はパリで偶然出会う。そして、二コラが生まれる。
二コラは彼らにとって「憧れ」だったに違いない。「こんな子ども時代を生きてみたかった」と。
そして同時に二コラは彼らにとって「希望」だったに違いない。「自分たちは子ども時代をやり直すことはできないけれども、だからこそせめて、この子(二コラ)や、彼の友だちになり得る読者(子ども)たちには、こんな子ども時代を送って欲しい」と。

だが、この「憧れ」と「希望」に満ちた幸福な物語は突如途絶える。
1977年、ゴシニが突然旅立ってしまったからだ。
悲しみに暮れるサンペ(と映画の観客)の前に、いつものように二コラが現れる。
いつものように?
いや、サンペに寄り添う彼は小さい二コラではなく、等身大の、まさに彼の息子だった。
今でも二コラは「救い」であり「希望」であり続ける。

2022年5月、本作はカンヌ国際映画祭に正式出品され、同6月にアヌシー国際アニメーション映画祭クリスタル賞(最高賞)を受賞した。
同年8月11日、サンペが旅立った。

メモ

映画『プチ・二コラ パリがくれた幸せ』
2023年6月10日。@渋谷・ユーロスペース

本作、字幕版と吹き替え版が用意されている。私は字幕版を観た。

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