映画『初めての女』
久しぶりに静謐で叙情的な映画を観た気がする。
映画『初めての女』(小平哲兵監督、2024年。以下、本作)は、『芥川賞の選考委員を創設以来46年間務めた俳人・小説家である瀧井孝作が晩年に執筆した私小説「俳人仲間」(日本文学大賞受賞作品)の中でも、様々な人と出会い、青年の成長を描いた「初めての女」を映画化』したものである。
瀧井孝作の故郷である飛騨高山でオールロケされた本作は、全体的にモノトーンで陰翳のある画作りで、当時の近代日本文学が"発見"した「私小説」の魅力を余すところなく伝えている。
それはつまり、映画自体が「文学的」ということであり、だから女性二人はある程度抽象的に描かれる。
それは、上映後のトークショーにゲストとして登壇した野本梢監督が指摘したとおり、『女性が本音を出す時は正面以外から陰翳を濃くして撮り、本音を出していない時は照明を当てた正面から撮っている』ことからもわかる。
最初に驚いたのは、玉がある事情から住み込みで働いていた西洋料理店を辞めざるを得なくなって部屋にあるものを処分していくシーンで、斜めや背後から彼女を撮り、表情が映るシーンは全て鏡越しに撮っている。
『初めての女』というのは意味深なタイトルだが、ずばりそのとおりで、玉は「初恋」、菊(鶴昇)は文字どおりの「女」であり、本作はこの二人の女性を軸とした孝作の成長譚であるが、彼の『初めて』はそれに留まらない。
若い彼は自分の抱えている事情が全てで、二人の女性が各々(孝作が鬱々している事情などと比べようのないほどの)複雑な事情を抱えていることに思い至らない(というか、自分だけが深刻な悩みを抱えていると思い込んでいるから、他人だって悩みを抱えているということに思い至らない)。
さらに、他人は自分の気持ちなんか考えてくれないなどと被害者ぶってもいる。
それが独りよがりの甘えた考えで、実は友人や父親、奉公先の主人も自分のために陰で支えてくれていたことを、二人の女性との交わりの中で孝作は知ってゆき、それによって彼は大人へと成長する。
この小説は孝作が70歳を過ぎた晩年に書かれたもので、小平監督は『晩年になんでこんな(50年以上も前の自身の)ことを書いたんだろう?』という謎を考えながら撮ったのだという。
私は本作のラストを観て、『覚えていようと決めたから』ではないかと思った。
本作、パンフレットによると、ほぼ「順撮り」されたそうだ。
だから、主演の髙橋雄祐は孝作が晩年振り返った青春時代を追体験したことになる。
孝作が二人の『初めての女』をとおしていかに成長したか、ラスト、故郷を後にするシーンでの髙橋の表情が雄弁に物語っている(惚れ惚れするほど精悍な表情だった)。
その表情で、後にする故郷の風景を目に焼き付けようとするかのように山々を見つめる孝作はきっと、その風景と東京に向かう今の気持ちを『覚えていよう』と心に決め、そして50年、ずっと忘れなかったのではないだろうか。
メモ
映画『初めての女』
2024年7月2日。@ユーロスペース(アフタートークあり)
本文に書いたとおり、本作は全体的にモノトーンで陰翳のある画作りとなっている。だからこそ、ここぞというときの鮮やかな色が印象に残る。
庭の緑、雪山の白、紅葉の赤、鶴昇の赤い襦袢……
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