【映画体験】双子姉妹デビュー 原將人映画ライブツアー プログラムA「双子暦シリーズ」 @UPLINK吉祥寺

映画を「体験する」。とても、不思議な感覚だった。

『双子姉妹デビュー 原將人まさと映画ライブツアー TOKYO/YOKOHAMA』

商業映画では広末涼子の映画デビュー作である『20世紀ノスタルジア』(1997年)で知られる原監督自身が、映し出される自作映画のスクリーンの傍らで、(全てではないが)キーボードを演奏しながら歌い、ナレーションを付けるという、不思議なスタイルの企画上映。
初日である 2024年3月29日 UPLINK吉祥寺は、「プログラムA[双子暦シリーズ]」。
上映作品は下記3本。
『双子暦記 私小説』(2024年/115分/撮影:2012年~2017年)
『焼け跡クロニクル・ディレクターズ・カット』(2024年/85分/撮影期間:1999年~2021年)※原まおり監督との共同作品
『双子暦記 星の記憶』(2024年/85分/撮影:1999年~2020年)

このプログラムには、少々の説明が必要となる。
『焼け跡クロニクル』オリジナル版(2022年)のパンフレットに掲載された金子遊氏の寄稿文(「伝説的映画監督、原將人」の軌跡)から引用する。

(原監督史における)中期と後期はどこに線を引くかが難しいが、筆者は原將人映画にミューズである「原まおり(真織)」が登場する2002年以降と考えたい。大分県日田市の日田市長の家に生まれたまおりは、映画を作りたいと考えてママ布院映画祭を手伝っていたところで原と出会った。親子ほど年齢が離れていたが、親の反対を押し切って結婚して京都で暮らし、二人にとっては長男の鼓卯(こぼう)が生まれた。

63歳にして原は双子の娘の父親となり、iphoneで家族の姿を撮影するシリーズをはじめて、『双子暦記・私小説』(18)と『焼け跡クロニクル』(22)の2本を完成する。特に後者は自宅が火事で全焼し、大やけどを負った原の姿をまおりが撮影した共同監督作になった。(現在、新作『双子暦記・星の記憶』を編集中)

「双子暦記」とは、双子の姉妹(まみや・かりん)が生まれた2013年を「双子暦元年」とし、それ以前を「紀元前」、以後を「双子暦〇年」と称した、双子の(誕生以前からの)成長記である。

映画館に来るまで私は、各映画の「感想」を書こうと思っていたが、冒頭に書いたとおり、私は『映画を「体験」』することとなった。だから、本稿では、それらをまとめた「体験記」になるかと思う。

その「体験」とは、全くの「個人的体験」であり……
上映前に映画館のロビーで原監督と双子ちゃんとすれ違ったこと。
そして、双子ちゃんだけでなく、まおり監督、長男の鼓卯さんーつまり、原一家全員ーとともに、(過去の)本人たちが出演する映像を観たこと。
何より、(私は自分が特定されることが嫌なのだが、本稿の趣旨としてはこれを書かなければならないと思うので書くが)最後列で観ていた私の隣に、その家族たちがいた、ということだ。

双子暦記 私小説

最初の作品『双子暦記 私小説』は、「私」とはつまり原監督のことで、62歳で(既に長男がいる上にさらに)双子の父親となることがわかった原監督が、生活費を稼ぐために様々なバイトをする様子が綴られる。
作品はほぼ前半と後半に分かれ、前半は双子暦5年、4歳になった双子ちゃんたちを、その時点での職であったタクシー(ドライバー)に乗せて、京都市内を走り回る映像。
後半は、紀元前から双子暦元年、つまり双子ちゃんが生まれる前後の様子で、最後半は(長男と)生後間もない双子ちゃんを大分県日田市の妻の実家に預け、愛知県で測量のバイトをする映像。

映画は、若松孝二監督が事故死したことを伝えるテレビニュース番組の映像で始まる。連絡を受けた原監督は、京都駅から夜行バスで東京に向かう。
この時点で私の頭は混乱していた。
何故なら、翌日(3月30日)に私は所用で京都に行き、その日の夜、京都駅から夜行バスで帰京する予定だったから。
つまり、3月29日 19時過ぎ、東京・吉祥寺にあるスクリーンで観ている映像は、その約30時間後に私が実際に見るであろう風景あり、バスの車内から撮られた東京の朝焼けも私が見るかもしれない風景だった。
続く前半の、タクシーから見える京都市内の風景は、翌日の私を予言しているかのようだった。
この時点で、原監督の「私小説」は、私自身の「私小説」となっていた。

とはいえ、この映画の「私小説」は、本当に原監督のものなのか?
そういう疑問が浮かんだのは後半の映像ー日田市や愛知県の風景となっていて私は前半より距離が取れていたーを観ていた時だ。
家族が撮った双子ちゃんの成長してゆく映像とともに、原監督がバイトで訪れた田舎や山奥の自然・風景の短いカットが次々とコラージュされてゆく。
その風景たちの膨大なカットからは、不思議なことに映画として訴えかけるものが感じられなかったのだ。
つまり、フィクションであれドキュメンタリーであれ、通常の映画であれば、風景のカットには、場所や状況の説明であったり、人物の心象を表現したりと、何かしらの「意味」が付与されているはずだ。
しかし、この映画の風景からはそれが感じられない。ただ、監督がバイトで訪れた場所が淡々と(次々に)映し出されるだけ。
なのに、心揺さぶられるのは何故なんだろう。
それは恐らく、映画として訴えかけてこないからこそ、そこに観客自身の心象風景が重なってしまうのではないか。少なくとも私はそうだった。
つまり(私は)、スクリーンに次々映し出される自然や風景に自分の心象風景を重ね、さらに双子ちゃんの成長の映像によって、自身が成長してきた中での心象が蘇ってきたのである。
だから、そういった意味でも、この映画は私にとっての「私小説」となり、私はそれを「体験」することになったのだが、これは果たして私だけのものなのだろうか。もしかしたら、観客各々が自身の「私小説」を「体験」していたのではないだろうか?

焼け跡クロニクル・ディレクターズ・カット

感想については、オリジナル版の拙稿に譲る。

今回のディレクターズカット版、オリジナル版とシーンやカットの違いはわからなかったが、大きく違うのは、ナレーションの一部が「(恐らく)今・現在の」双子ちゃん、長男の鼓卯さんに置き換わっているところで、特に双子ちゃんについては、先の『双子暦記 私小説』で、テロップに出る短歌をたどたどしく可愛らしく読む4歳の彼女たちと対比されるかたちとなっている。

何より私の「個人的体験」としては、隣に双子ちゃん(たぶん、まみやさん)が座っていたことである。
彼女は、時折身じろぎをしたけれども、まおり監督がiphoneで撮影した火事現場の風景と、その時の自分たちの様子を捉えた映像を、目を逸らすことなく観ていたことが印象的だった。

双子暦記 星の記憶

新作は本邦初公開だったのではないか?
それは、原監督自身のナレーションが、前2作と比べてかなりたどたとしかったのとともに、子どもたちの反応からも推察できる。

この映画、前2作と比べて格段に、というか、ほぼ全篇にわたって家族しか映っていない、ほとんど「ホームビデオ」或いは現在の「YouTube」に近く、映像効果もベタ(原監督によると『(市販の)編集ソフトの機能を全部使った』とのこと)なのに、物凄く抽象度が高いファンタジーのような作品になっている(「あの時、君たちはこうだったよね」と語りかける調子のテロップが挿入されているのも、如何にも「ホームビデオ」っぽいが、それを本人の口から直接語りかけられて、子どもたちは、時折くすぐったそうにわらっていた。だから、恐らく「本邦初公開」なのではないか、と思ったのだ)。

映像素材としては前2作よりも古く、双子ちゃんだけでなく、鼓卯さんの幼少期(つまり「紀元前」)を撮った8mmフィルム(撮影者の中には、故・市川準監督もいる)も使われている(原監督によると『先にこちらを作り始めて、うまく出来なくて、『私小説』を作った』らしい)。

言葉や(ある程度の)社会性を獲得する前の「未文化」とも云える時期の子どもを「違う星から来た異星人」に例える人は、多いと思う。
この映画もそういう作りになっているが、他の物とは比べ物にならないーというか、比べてはいけないと思わせるほどー説得力が高い。それは恐らく、先述したように「物凄い抽象度」によるものだろう。

抽象度が高いのは編集によるものも大きいと思うが、最大の理由は、素材自体、家族を撮っているにも拘わらず、撮影者と被写体に一定の距離感が感じられる点なのではないかと思う(それは、撮影技術も含む)。
ホームビデオとして見て違和感を感じるのは、撮影者が被写体の相手を(極力)避けていることではないか(一般的なホームビデオでは、撮影者が状況をナレーションしたり、被写体からのアプローチにことごとく応えてしまうことが多い)。
だから、「千本ゑんま堂」(初見なので思い違いかもしれない)での双子ちゃんの行動は、私には「暗黒舞踏」にしか見えなかったし、それ以外でも、二人で戯れているシーンは「コンテンポラリーダンス」にしか見えなかった。
二人が喋る言葉は、全くわからなかったが、彼女たちは何かを訴えかけていることはひしひしと伝わってきたし、何より二人の間ではそれで会話できている(ように見える)。

それがまた、映画が鳥取砂丘に旅行に行った時の映像を中心に構成されていることで更に効果を増すことにつながっている。

原監督は、この鳥取砂丘で双子ちゃんが「枯れた赤い花」を一心に集める様子から「二人は違う星から来たのでは」と想像する。
たしかに子どもは、大人には一見何の価値もないようなものに物凄く執着したりするのだが、何故監督は「枯れた赤い花」にそれを見たのか、不思議だった。
上映後に観客との質疑応答でこう発言した(うろ覚えなので、この通りではなかったと思うが、キーワードは合っているはず)。

この映画は『20世紀ノスタルジア』のアンサーでもあり、『20世紀ノスタルジア』は、宮澤賢治の「星めぐりの歌」がモチーフになっている。

その「星めぐりの歌」の歌い出しはこうだ。

あかいめだまの さそり

……まぁ、私の「こじつけ」だ。

この企画、特に『私小説』を観た人は、かなり虚実が混乱したのではないか。
スクリーンの横で監督自らパフォーマンスしているし、何より最前列に双子ちゃんが座っていて、スクリーンから少し下に視線を移すと成長した本人たちが見えるのだから。

17時に始まったライヴは、各作品ごとに短い休憩を挟み、最後のアフタートークが終わったのが、22時40分。さすがに疲れた……

ということを、京都に向かう新幹線の車内で書いている。

メモ

『双子姉妹デビュー 原將人まさと映画ライブツアー TOKYO/YOKOHAMA』
2024年3月29日。@UPLINK吉祥寺(プログラムA[双子暦シリーズ])


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