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こどもは天使かそれとも……~映画『だれかが歌ってる』/『左手に気をつけろ』

「愛すべきB級映画」である。
みんなが「良い」とは言わないが、しかし、だれかには確実に届く。それは特定の嗜好を持った人という意味ではなく、たとえば疲れている時とか、理由なく入って来るという意味で。

2023年の東京国際映画祭でも上映された井口奈己監督の最新作『左手に気をつけろ』(2023年。以下、『左手』)が劇場公開された。43分の中編映画に、井口監督の過去作『だれかが歌ってる』(2019年。以下、『だれかが』)という30分の短編が併映された。

『だれかが』『左手』の順で上映され、公開順といえばそうだが、両作は登場人物は違うがほぼ同じ東京・世田谷区、東急世田谷線沿線のとある一角を舞台に、「人と人が出会う/出逢う」というテーマを持つ。
そして、最大の共通点でありながら、最大の違いとも言えるのが「子ども」である。
両作での「子ども」を隔てるのは「2020年」である。

「2020年」前の『だれかが』は、ある意味で「運命論」を具現化したような物語で、同じ地域に暮らす男女が互いを知らず行き違い、すれ違い、最終的に「出逢う」、その媒介となるのが「世に発表されておらず、他の人には聞こえないが、『だれかが歌ってる』歌」である。

とはいえ実は、物語の冒頭で誰が歌っているのかは明かされている。
……はずなのに、唐突に公園で大勢の子どもたちが、思い思いに遊びながら歌っている(歌わせられている)シーンが挿入される。
『だれかが』の物語が、クリスマスイブを挟んだ3日間というのは重要で、
それはつまり、子どもは「天使」なのではないか、とも思わせる。

そして、「2020年」を超えた『左手』では、子どもは全く違った存在に書き換えられる。

20XX年。世界では左利きを媒介するウイルスが蔓延し、こども警察による厳しい取り締まりが行われていた。行方不明になった姉を探す神戶りん(名古屋愛)は、その足取りを追うなかで“運命の人”と出会い「世界を変えていく」と意気込んでいくのだが……。

本作あらずじ

まるでコロナ禍の「自粛警察」を彷彿させるような設定で、青いお揃いのハッピを着た大勢の「こども警察官」たちが、口々に『御用だ!御用だ!』と叫びながら街中を走り回る。時に転ぶ。カメラを意識していないのだろう、勢い余ってフレームアウトしたりもする。
微笑ましい……と観ていられるのは最初のうちだけで、段々怖くなってくる。
恐らく井口監督は子どもたちに『「御用だ 御用だ」と叫びながら、ここからあそこまで走れ』と指示したのではないか。
つまり、「こども警察官」は言われたことを無邪気に信じて、忠実ーしかも、かなり一生懸命ーに行動しているに過ぎないのである。
そこに「(物語上の)正義」は存在しない。
それは「自粛警察」の前にも、その後にもネット上を中心として頻繁に出没するあらゆる「警察」に通じるのではないか。
大人たちは(悪)知恵が働くから、それらを「正義」「正論」と称して正当化するが、結局、やっていることも、その行動原理も「こども警察」と同じなのではないか。

もう一つ、『左手』は、子どもたちが「手つなぎオニ」で遊ぶシーンで始まる(広場で男の子が『手つなぎオニをやりたい人』と大声で募ったら、あちこちから大勢の子どもたちが走ってくる、という物語の始まり方は、なかなかの迫力でインパクトがあった)。
オニになった子どもたちは、結構明確にターゲットを定め、執拗に追いかける。「つかまえる」ということで言えば、それはかなりピュアで忠実と言えるが、考えてみれば結構残忍である。

「2020年」を隔てた両作において、子どもの「ピュア」は違う視点から描かれている。これが、2024年に両作が併映される意義である。

が、それだけではない。

両作に通底するテーマは上述したとおり、「人と人が出会う/出逢う」である。
誰かと出会う(出逢う)、それがたとえ「運命的」なものであっても、そこで唐突に何かが始まるのではなく、当たり前だが自分も相手も、であうまでの日常があり、であってからも日常が続くのだ。

『“運命の人”と出会い「世界を変えていく」と意気込』むりんが、果たして最終的にであった"運命の人"は誰だったのか。
或いは、であいは「意気込み」ではなく、「自身がしでかしてしまったことに対する後始末」から生まれたのかもしれない。
「運命」とは自ら変えるものではなく、「運命」に翻弄させられた結果を、人は「運命」と呼んでいるのではないか。

そう考えると、人生なんて無理に頑張る必要なんかないんじゃないか、とも思えてくる。ある意味「脱力系」でもある『左手』、冒頭に書いたように、だから疲れた時に観ると、入って来るのではないか。


メモ

映画『だれかが歌ってる』、『左手に気をつけろ』
2024年6月9日。@ユーロスペース(公開舞台挨拶あり)

舞台挨拶には井口監督、『左手』主演の名古屋愛さんのほか、「こども警察」であり、エンディングでラップを披露しているAoくん&Wakuくんも登壇した。
Aoくん&Wakuくんは「子役」ではないのだろう。「普通(というと「何が普通か」ということになるが、ここでは難しく考えず「普通」という言葉を使う)の子ども」らしい自由さが微笑ましかった。

冒頭で「愛すべきB級映画」と書いた。誤解はないと思うが、もちろん誉め言葉だ。
井口監督が舞台挨拶で「最初は自主映画として企画した」と語ったが、『左手』は本当に良く出来ている。

本作を観ながら、2024年の第77回カンヌ国際映画祭において『ナミビアの砂漠』(主演・河合優実、2024年9月公開予定)で国際批評家連盟賞を受賞した山中瑤子監督の過去作『あみこ』(2017年)を思い出していた。唐突に音楽が演奏されるー『あみこ』の場合はコンテンポラリーダンスだがーところとかで、何だか自主映画の良いところが似ているなぁ、と個人的に思ったのである。




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