京都で新年を迎える(綿矢りさ著『手のひらの京』)

2021年の正月を京都で迎えた。
例年なら、どこかの飲み屋でカウントダウンして新年を迎えるのだが、2020年末はコロナ禍の影響で飲食店が21時までの時短営業となっており、結局、ホテルで『笑ってはいけない』というテレビ番組を見ているうちに年を越していた。

元旦、八坂神社に詣でた。
西楼門に着いた時、綿矢りさ著『手のひらのみやこ』(新潮文庫、2019年。以下、本書)を思い出した。

東大路通に面する西楼門は、(略)八坂神社の玄関口として風格のある構えを見せている。

確か、物語の主人公である三姉妹の長女である綾香が、八坂神社で付き合い始めの宮尾さんと初詣デートをするシーンだ。

石段を登りきったあと後ろをふり返ると、まっすぐに伸びる四条通が首の骨のように京都の真ん中を貫き、頭を支えていた。通り沿いの道は両側とも参拝客や観光客でごった返して、首の筋肉部分である祇園や河原町が経済を頑強に支えている。狭い道幅に車はクラクションを鳴らし、バスは長い車体をものともせずに急ハンドルを切って東大路通を曲がる。
いつからこんな賑やかなまちになったんやろう、京都は。
年々増える人出に驚きつつ、半ば呆れ、しかし誇らしい気持ちも隠せぬまま、綾香は矢を背負った随身の木像が両脇に置かれた門を通り過ぎた。

31歳の綾香は、『二十七歳のときに(略)付き合っていた人と別れて以来、シングルとして穏やかに日々を送っていた』が、『三十を過ぎたあたりから』出産の『タイムリミットが迫っている』と感じ、『急に不安になってきた』。
そんな時、ふとしたきっかけから、妹である次女・羽依ういの勤める会社の宮尾さんと付き合うことになった。
ちなみに、三姉妹の末っ子は、凛。

提灯の並んだ舞殿を「やっぱり舞殿は夜の提灯が点いてるときの方が雰囲気がある」と二人で言い合ったあと、本殿の行列に並んだ。(略)帰り際に甘酒を買い、二人で飲んで、快晴ではあるものの風は皮膚を切りそうなほどの寒さを癒やした。

一人で京都に来ている私としては、こういう初詣デートに憧れてしまうのだが、それはさておき……
八坂神社で初詣を済ませた二人は、綾香の家へ行き、宮尾はここで綾香の家族に紹介されることになる。

女ばかり多かったこの家族に彼が一人加わっただけで、ようやく均整が取れて、いつもは影の薄い父も宮尾と話してうれしそうだ。
こんな光景が、ずっと見たかった。
自分にはすでに家族がいる、大人になったいまでも一つ屋根の下に住む、大事な家族だ。でもいつか、元の家族に自分が新しく作った家族のメンバーが加わる日が来たら。宮尾はまだ家族でもなんでもないが、ひそかに夢見ていたシチュエーションが叶って心が暖かになった。いつもと同じように家族に囲まれていても、隣で笑ってくれている男の人が一人いるだけで、感じるともなく感じていたすうすうした淋しさが埋まる。

この後、宮尾は元旦にも関わらず、持ち越してしまった残務処理のために一旦会社へ行き、その夜、綾香を再びデートへ誘い出す。
重大な決断を伝えるために。

宮尾の改まった声の調子に綾香はふたに手をかけたまま固まった。なぜ気づかなかったんだろう、大事な話があと一秒後に来るんだ。誰もいない静かに雪の積もったなか、なぜ緊張もせず川べりを歩いていたのか。
「お付き合いのことなんですが。(略)」

結婚への焦りから、羽依からの紹介話を受けた綾香だったが、宮尾と付き合ううち、宮尾を好きになった。
結婚よりも、宮尾と別れたくない気持ちが募った。
だから、宮尾はどう思っているのか、綾香は不安でいっぱいだった。
自分から会社の女性社員の姉を紹介してほしいと頼んだ手前、断り切れずに、ずるずるここまで来てしまっているだけではないのか?

そして今、この元旦の夜に、宮尾はその決断を綾香に伝えようとしている。

もうベルトコンベアーに乗って降りられない、目的地に着くまでは猛スピードだ。どっどっと血流の速くなる音が耳の奥から聞こえてきた。口が乾いて寒いのとは別の理由で歯がかちかち鳴る。

宮尾は告げる。『好きになりました』。

冷えきっていた頬と指先に熱が戻ってきて、マフラーと頸の間に汗が噴き出す。良かった、悪いほうやなかった。さっと頭によぎった最悪の別れの言葉やなくてよかった。急に身体が楽になり、ほどけて、綾香は宮尾に一歩近づいた。
「はい、私も、おんなじ気持ちです」
気の利いた言葉が浮かびそうで一言も浮かばず、眦に緊張を残したままの宮尾に穴があくほど見つめられたが、もうしゃべれない。代わりに押さえきれない笑顔が唇から広がってゆく。
「ほんまうれしー、です。とてつもなく」
ようやく言って、恥ずかしくて川の水面に視線を移した。(略)二人はそれぞれ別の方向を見つめながら自分ひとりで安堵をかみしめた。綾香が川を眺め続けていると、後ろからぎこちなく宮尾が抱きしめた。いきなり縮まった距離に眩暈が起きそうだ。とまどっていると自然にふり向かされて抱き合う形になった。ここから先は理性じゃなくて身体が知っている。合わさった唇は両方ともかさついていた。腕のなかはほっこりと暖かくて、辺りは震えるほど寒くて、生き物がこの世に二人しかいないみたいだ。

2021年元旦の八坂神社。
あの時綾香が思った『驚きつつ、半ば呆れ、しかし誇らしい気持ちも隠せぬ』光景が嘘と思うような静けさだった。
西楼門からの参道は屋台こそ出ていたが、例年のような牛歩での進みもなく、本殿前がごった返すこともなく、すんなりお参りできた。
ただ、参拝の人々の手を合わせる時間が、心なしか長いように感じた。
参拝客が少なく落ち着いてお参りできたこともあるだろうが、もしかしたら各々、自身のことだけでなく、日本いや世界中に安寧が戻ることを祈願していたのではないだろうか。

本書に出てくる三姉妹は、各々が悩みや葛藤を抱えながらも、でも綿矢りさ氏にしては珍しく(私の勝手な印象だが)、ページを捲るのが辛くなることがなく、上に挙げた綾香の物語でもわかるように、読後も爽やかである。
安寧が戻るまで、本書を読み返しながら、平穏な気持ちで待つことにしようと思う。

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