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「正義」とは、「風化」とは~映画『水平線』~

どんな名監督でも、「デビュー作」は1本だけですから。

映画『水平線』(小林且弥監督、2024年。以下、本作)の公開舞台挨拶に登壇した主演のピエール瀧は「だから光栄です」と語った。
もちろんそのとおりで、そしてその「デビュー作」には「監督の全てが詰まっている」とも言われるが、(脚本は斎藤孝であるが)本作はその言葉がピッタリだ。

震災で妻を失った井口真吾(ピエール瀧)は福島の港町で娘の奈生(栗林藍希)と二人暮らし。酒好きでだらしない一面もあるが、生活困窮者や高齢者を相手に格安で請け負う散骨業を営んでいる。一方、水産加工場で働く奈生は遺骨の見つからない母の死を未だ消化できないでいた。そんな日々の中、松山(遊屋慎太郎)という若い男が亡くなった兄の散骨の手続きにやってくる。何か複雑な事情を抱えた様子を察する真吾だったが、その遺骨を預かる。ある日、ジャーナリストの江田(足立智充)が真吾の元を訪れ、先日持ち込まれた遺骨が世間を一時震撼させた殺人犯のものであると告げる。震災で多くの人が眠るこの海に殺人犯の骨を撒くのかと言う江田に対し、無関係な人間が口を出すことじゃないと相手にしない真吾。しかしその後も被害者家族と真吾のやりとりをSNSで拡散するなど、江田の執拗な取材は続く。拡散された動画を目にした奈生は言葉を失う。奈生から強く散骨を反対された真吾は、遺骨の見つからない妻への思いも相まって、「骨に価値なんかない」とはぐらかすが、奈生は「ほんの一欠片だけでもお母さんの骨が欲しい」と呟き、家を出て行ってしまう。

本作公式サイト「Story」抜粋

「全てが詰まっている」というのは、まず、監督自身が俳優として東日本大震災をテーマにしたドラマ出演したことから現地の人たちとの交流が始まったということ。
そして、現代のネット・SNS社会を不気味に思う肌感覚。

少し前に、『う蝕』という芝居の感想に、人間は『「無い物」に蝕まれている』といったことを書いた。
その芝居も此岸と彼岸にまつわる物語(さらに言えば、遺体の身元を特定するための「デンタルチャート」を行う歯科医が主人公)で、だから私は本作を『う蝕』と関連付けて観てしまったのだが、つまり、「遺骨」とは何か?という問い自体が『「無い物」に蝕まれている』のではないか、と思ってしまったのだ。
井口父娘おやこは、遺骨を「死んだ証し」と捉え(ようとし)ているが、要するにそれは「骨がその人であった」ということを指し、だから江田(や、動画を観た一般市民)と同じなのだが、ここで指摘しておかなければならないのは、「遺骨そのものは人ではない」ということだ。
「遺骨そのものは人ではない」にも拘わらず、人は遺骨に「(特定の)人」を見るといった『「無い物」に蝕まれて』しまう。

本作は「遺骨」を、現代の「正論」「正義」といった「無い物」に見立てて、それに蝕まれてしまっている現代の我々を描いている。
断っておくが、「正論」や「正義」自体を否定しているのではなく、そこに「誰もが納得する普遍的正解」がない、ということだ。
人を殺すことだって、戦争をやっている国の人たちから見れば「正論」であり「正義」だし、「海は駄目だからトイレに流せばいい」という江田に対する井口の『トイレに流したって、結局は海に流れんだろ』という返答は「正論」だが世間からは認めてもらえない。

つまり、「正論」「正義」とは、普遍性を持たず、特定の人や共同体に対して適用される限定的なものだと思うのだが、本作が暴くのは、それらが「適用される人/共同体」ではなく「正論/正義を唱える私自身」に向けられているということだ。

取材をしている江口は『被災者の代弁をしている。震災を風化させないために』と言う。
この一見普遍的にも聞こえる「正論」「正義」の言葉に対して、井口はこう返す。

風化?あんたがやってんのはな、ただ死人を掘り起こしてるだけだろ。
(略)被災者だって、みんな辛いことなんか思い出したくねぇんだよ。
あんたの言う風化だったら風化しちまえばいい。

小林監督は、本作パンフレットのインタビューにこう答えている。

おそらく僕が注視したのは、当事者と外部の「声」の差ということだと思います。これもSNS社会の特徴ですが、当事者の実感や物事の真偽とは無関係に「声のデカい人」が影響力を持ってしまう。あるいは視聴者数やフォロワー数などの数字を、実体のある影響力だと勘違いしてしまう。
(略)最もよく地元の方々から聞いたのは、外部からの「震災を風化させるな」という声が辛いということ。「放っておいてくれ」という気持ちなんだ、ってことをおっしゃる方が本当に多かった。

「正論」「正義」という言葉が日常的に軽く使われているが、本当は、熟考した後にようやく絞り出される言葉なのではないだろうか。

そして、その熟考してようやく絞り出されたのが本作であり、だから、小林監督のデビュー作は「監督の全てが詰まっている」のである。

メモ

映画『水平線』
2024年3月1日。@UPLINK吉祥寺(初日舞台挨拶あり)

本作を知ったのは、ポレポレ東中野で映画『雨降って、ジ・エンド』(髙橋泉監督)を観た際、上映後のトークイベントのゲストが小林監督だったからだ。
この映画の主役である古川琴音をオーディションで選んだと高橋監督が言ったとき、間髪入れず「えっ?古川琴音ってオーディション来るんですか?」と本気で聞いた小林監督を見て「やっぱ、俳優さんなんだな」と妙な感心をしてしまい印象に残った(その答えは、映画が2018年に撮られていて、その時の彼女はデビューしたばかりだった、と)。


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