ドングリを食べて育った豚が「イベリコ豚」ではありません

「AERA.dot」の2021年6月16日配信の記事に「どんぐりを食べて育った豚をイベリコ豚と呼ぶのは間違い?暑い季節にピッタリの柑橘系の香りのする魚とは」というのがあった。

日本人は結構勘違いしているようだが、記事によるとイベリコ豚は『豚の血統』であり、『イベリア種の血が50%以上入った種類』とのこと。
『ドングリの餌を食べて育った最高級のイベリコ豚のことは、正確には「ベジョータ(スペイン語でどんぐりの意味とか)」と呼ぶ』のだそうで、ということはつまり、「ドングリを食べないイベリコ豚」も当たり前にいる」のである。


イベリコ豚とは

もう少し詳しく、野地秩嘉著『イベリコ豚を買いに』(小学館文庫、2016年。以下、本書)で見ていく。
先に書いたように、ドングリを食べないのも含め、イベリコ豚には3種類の育て方の違いがあり、それぞれ『肉の味はもちろん、呼び名も変わる』そうだ。

「まず純イベリカ種のベジョータ。これが最高級のイベリコ豚だ。
毎年7月から8月に誕生した純イベリカ種のうち、生後3か月経過した段階で骨格の良いもの、発育が良いものを選出し、餌は最低必要数量のみ投与して養豚する。そして誕生から約1年経った翌月の8月に、その年のどんぐりの収穫量予想から最終的な放牧頭数を決めるんだ。誕生から約15か月経った10月から11月にベジョータ養豚場(どんぐりの森)で養豚が開始される。(略)」
樫の実を食べたイベリコ豚、ベジョータ。「最初は餌をやらずにガリガリに痩せた」豚にして、それを放牧するというのだ。豚は放牧場で熟した樫の実とコガネウマゴヤシ、ストランドメディク、サブタレニヤンクローバーといったハーブ類をもりもり食べる。そうして一気に太る。実は一頭のイベリコ豚を育てるには1トン以上のどんぐりと2~3ヘクタールの樫の森が必要なのだという。驚くべき話だ。

ドングリを食べないイベリコ豚は2種類に分けられる。

「ひとつは純イベリカ種(100パーセント)のセポ。純イベリカ種の豚でも毎年7、8月以外に誕生した豚や、7、8月に誕生してもその年のどんぐりの収穫量が少ないために選出されなかった豚は、誕生から3か月経過した後も大麦、小麦を主とした穀物を好きなだけ与えて養豚を行う、誕生から10か月以上経過して生体重が約160キロに仕上がった豚をセポとして屠畜する」(略)
もうひとつのセポは純種ではなく、イベリコ豚とデュロック種の交雑種である。

こうしてみると、最高品種の豚をつくるために人間がイベリコ豚にドングリを与え始めたと思いがちだが、『豚が昔から食べていた』という。ハーブもそうだ。
『彼らの習性をそのまま取り入れただけで人工的な方法で飼育しているのではない』。


日本での「イベリコ豚」の誤解

本書によると、『イベリコ豚が日本人に認識されるようになったのは2005年の秋頃ではないか』とのこと。
当時のスペインでも、ベジョータは『普通の豚肉の3倍はした』そうで、日本に輸入すればかなりの高級食材となってしまうため、当然輸入されていなかった。
しかし、2005年の秋頃、『全国チェーンのある大手スーパーがイベリコ豚(ベジョータではない)を買い付けに来た』そうである。

そして仕入れていった豚肉で肉製品、たとえばメンチカツなどを作り、日本中のスーパーで売るようになった。店頭でイベリコ豚という表示が見られるようになってからはテレビ、新聞、雑誌といったメディアがやってきて、イベリコ豚が話題になり始めた。
なんといっても「どんぐりを食べる豚」というキャッチフレーズが注目を集めたのである。

つまり、「イベリコ豚はドングリを食べる(種類もいる。この肉はその種類じゃないけど)」と(カッコ)の中の文章を意図的に省略して、消費者の目を欺いた業者がいた、ということだ。

その欺きが様々な誤解を生むことになり、それを蘊蓄としてドヤ顔でひけらかす輩が多数出現する。
本書では『典型的な「間違いの例」』が二つ、挙げられている。

ひとつは…。

「イベリコ豚はスペインの黒豚です」

黒豚はバークシャー種のこと。イベリコ豚は毛の色は黒いがバークシャー種ではない。
もうひとつは…。
「イベリコ豚はいつもどんぐりを食べていますから肉に甘みがあります」

間違い文の添削例のようになるが、先に述べたようにイベリコ豚はいつもどんぐりを食べているわけではない。樫の木が実をつける11月から3月ぐらいまでの約4か月間だけである。しかも、どんぐりを食べているのはベジョータだけで、セポは食べていない。また、肉に甘みがあるのはどんぐりを食べているせいばかりではない。イベリコ豚は肉のなかに脂肪をたくわえる性質を持っており、脂肪のなかに甘みがある。脂肪分が他の豚よりも多く含まれているから甘みを感じるのである。

前述のとおり、イベリコ豚が日本で知られるようになったのが2005年あたりというから、かれこれ15年以上は経っていることになる。
最初は知識がないから誤解もあったのだろうが、さすがに15年以上もあれば誤解が解けるだろう、と思うのだが、「AERA.dot」の記事からすると、実はそうでもないのかも…


本書について

本書はその書名からもわかるとおり、単にイベリコ豚を紹介したものではない。
著者の野地氏は、『トヨタ物語』『トヨタ 現場の「オヤジ」たち』などの著書を持つノンフィクション作家であり、食肉に関わる職業の方ではない。
つまり「養豚」「加工」「輸入」「販売」の実態を知るために、自身でイベリコ豚(しかもベジョータ)を輸入して販売を実体験したのである。

これは、2010年代始め頃の話だから少し情報としては古いかもしれないが、食肉の輸入販売という点においては、2020年代になっても大きくは変化していないと思われるので、大いに参考になるだろう。

で、さっき「情報が古い」と言ったが、上述のとおり、未だに「AERA.dot」のような記事が出ているのだから、あながち「古い」とも言い切れないのかもしれない…
ということで、「イベリコ豚」について「本当の蘊蓄」を語りたい人も一読の価値はあると思うのである。

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