オールメン、ついてこい!~劇場アニメーション『がんばっていきまっしょい』~
頑張って何かをやれば、何か得られるし少しは前に進める。頑張ることには意味がある。
若い頃、大人が放つそんな言葉は、中身も真実味もない、ただの使い古された定型説教文句にしか聞こえなかった。
恐らく今の若者たちだって、劇場アニメーション『がんばっていきまっしょい』(櫻木優平監督、2024年。以下、本作)の主人公・悦ネエほどわかりやすく表出しないまでも、そんな鬱屈した諦めの気持ちを持っているのではないか。
本作の原作である敷村良子による同名小説(幻冬舎文庫。単行本はマガジンハウスより1996年刊。以下、原作)の悦ネエも、常に優秀な姉と比べられていて頑張ることに少し冷めている。
わかりやすく冷めた悦ネエを観ながら、でも意外と本質を突いているのではないかと思ったのは、所謂「なろう系」の「転生しても結局何も変わらない」というストーリーを想起したからだ。或いは、本作ではイモッチに少し表れているが、所謂「親ガチャ」に依拠する「諦め」のようなものもあるのかもしれない。
冒頭に書いた『中身も真実味もない、ただの使い古された定型説教文句』が実は『中身も真実味もある』のではないかと思うようになったのは、30歳手前で観た本作の実写版(磯村一路監督、1998年。以下、実写版)がきっかけではなかったか。
実写版も「青春映画」として認知されているが、あれだけ評判になったのは「大人が"青春を生きる若者"と同時に"かつて青春を生きた自分"を肯定する物語」だからだ。
それを象徴するシーンがある。
世界選手権に出場した経験を持つが、夢破れて愛媛に戻ってきた(地元は今治と紹介されている)女性コーチ・晶子(中嶋朋子)が、大会の決勝に臨む悦ネエ(田中麗奈)らを送り出すシーン。登場したての彼女は、夢破れた故にやさぐれた感じだったが、ボート部員たちが頑張っている姿を見ているうちに、気持ちに変化が起きる。
それがこのセリフに現れている(その後の姫の『ほな、恒例により、一発いきます』から最後の『しょい』まで、セリフを全てソラで言えるほど、大好き過ぎるシーン)。
この晶子のセリフで重要なのは、最後に『いっといで』と送り出すところだ。
つまり、彼女(=実写版物語)は「あの頃に戻りたい」ではなく「"かつて"青春を過ごした自身の"今"を肯定している」と同時に、「その渦中にいる若者たちの(努力・苦悩を含めた)青春を肯定している」のである。
それは原作にもつながっている。
それは原作者の敷村が自身の体験を基にしていて(ただし、「悦ネエ」は実際にボート部を復活させた先輩たちがモデルであり、自身はその1年下の「いつも憂鬱そうなバウの市原さん」だと、単行本のあとがきで明かしている)、第4回坊ちゃん文学賞を受賞した短編は、読めばわかるが、かつてのOBたちがボート部のために尽力することで活気を取り戻す話でもあることからも明らかだ(単行本に所収された続編「イージー・オール」は完全な青春小説)。
では、本作はどうか?
本作は、大人の話ではなく、渦中にいる若者の話である。
悦ネエは身をもって、『頑張って何かをやれば、何か得られるし少しは前に進める。頑張ることには意味がある』ことを全力で肯定する。
例え試合に負けても、それは何もなかったこととは違う。何より、スタート地点からゴール地点まで行けているではないか。
そこまで行く間に、悦ネエは叫ぶ。
オールメン、ついてこい!
メモ
劇場アニメーション『がんばっていきまっしょい』
2024年11月4日。@新宿ピカデリー
実写版好きとしては、艇庫の外観が(幅は3分の2ほどになっているが)実写版と同じなのが嬉しかった。
あと、まぁみんな気がついたと思うが、お好み焼き屋のシーンも実写版に沿っている(さすがに港山高校の女子たちは「いっぱいじゃ」とは言わなかったが)。
ボートのシーンは、さすがにCGアニメの本領発揮という感じで迫力があった。同様、やはり海や湖の景色もさすがという感じで美しかった。
櫻木監督は朝日新聞のインタビューでこう語っている。
ちなみに全然関係ないが、ダッコの家がお屋敷だったの観て「さすがアニメだな」と思いかけたのだが、松山ではないが同じ愛媛県である今治市にある『焼き肉焼いても家焼くな』でお馴染みの日本食研の工場(本社も同市にある)は宮殿(その名も「KO宮殿工場」!)ということを思い出して、「あり得るかも」と納得してしまった(小高い丘の上に突如出現する謎の宮殿。それが「焼き肉のタレ」の工場と知ったときの衝撃たるや)。
なお、表題の写真は、左から原作単行本、実写版フォトブック(確か、パンフレットの代わりに一般書籍として販売されていたと記憶している)、本作パンフレット。