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ブッダ(手塚治虫)-感謝の心-

ゴールデンウィークに箱買いしました。
仏教の開祖であるブッダの生涯を、手塚治虫の視点で描いています。
とは言うものの、出てくるキャラクターはほぼ架空の人物です。
また、仏教的に厳密に定義すると悟りとは一度で完全知を得るものなので、何度も悟る演出は過剰な感じがします。
ただ、ブッダの最も大事な教えである悟り「全てのものは繋がっている」をドラマチックに演出することで、非常に印象に残る作品になっています。

ブッダの生涯

ここは事実とされる部分だけ紹介します。
ブッダは釈迦族の王子として生まれます。
なので不自由なく暮らしていましたが、享楽に虚しさを覚え、死の恐怖に怯えながら生きなければならない人間の苦しみに悩み、出家します。
当時のインドはバラモンという高位の身分の人たちによって宗教行為が行われおり、ブッダも彼らに習い苦行の道に入ります。
しかし何年苦行をしても悟りは開けず、死にかけたところを救われたブッダは苦行をやめ、菩提樹の樹の下で瞑想を始めます。
そして悟りを開きます。

全ての存在には意味があり、あらゆるものとつながりをもっている

 ブッダ 第三部 第13章

手塚版ブッダの魅力

冒頭にも出てくるキャラクターはほぼ全て架空だと書きました。
ではこの本は伝記として読む意味はないのでしょうか?
ブッダの生涯を知識として得たいのであればあまり意味はないかもしれません。
しかし、伝記を読む意味はその人の生き様や考え方を知って自分に生かすことだと思います。
聖人ではなく等身大の人間としてブッダを描き、そんな彼が生身の人間との交流を通して悟りを開き、本来悟りを開いたら何の苦もないはずなのにその後の人生でも様々な試練に見舞われる。
仏教徒でもない私たちがブッダを身近に感じ悟りの意味を知るには、フィクションであっても時代を越えて素晴らしい作品だと感じました。

ブッダから学ぶこと

一にも二にも「感謝の心」です。
あらゆるものにつながりがあるということは、私たちは生かされているということです。
命も当然つながれてきたものだし、楽しみな晩酌の一滴も自分で作ったものはありません。
自己啓発に興味のある方からすると当たり前のことでしょうが、常日頃からどれだけつながりを意識し感謝の心をもって生活できているでしょうか?
真に感謝の心があれば無駄な欲を捨てることができ、周りの人や世の中に恩送りをせずにはおれないはずです。
その心が、前回『「福」に憑かれた男』で紹介した正しい使命感を持つ原動力になります。

人間は生まれながらにして無垢のはずですが、知能と文明のために所有欲が大きくなるのは避けられません。
自分の命も当然自分の所有物と考えます。
「自分の人生は自分のもの」というもっともらしい言葉に惑わされ、自分らしい人生を見つけられず苦しんだり、死ぬ間際に後悔する人はたくさんいます。

「つながり」を感じて感謝の心を持ち、「自分の人生は正しい使命を果たすためのもの」と確信して生きることができれば、不安から解放され真に充実した人生を送れるのではないでしょうか。

苦行について

ブッダは何年苦行しても悟りを得られなかったので、やめてしまいました。
では苦行には意味はないのでしょうか?

ブッダは苦行だけで悟りを得られなかっただけで、苦行した上で瞑想を行ったから悟りを得ることができたはずです。
豪遊三昧のボンボン王子が、突然出家して瞑想するだけで悟りを得られるなんてありえません。
苦しみによって人の痛みが分かり、優しさを得たからこそ、世のため人のためを思い瞑想し、真理に辿りついたのだと思います。

私たちにも、火の上を歩くような苦行ではないですが、逆境に立ち向かうという経験は必要です。
理不尽に耐える必要はないにしても、全ては因果応報であって、ここを越えれば前に進めるという時に逃げるのか立ち向かうのか、その選択の結果が今の自分を形づくっています。
親は選べないという意見もありますが、勿論子供を理不尽な環境から保護することは必要です。
しかし、いい年して自分の人生の責任を周りに置いているようでは好転しようはずもありません。
『7つの習慣』でも同様の記載がありますが、親に虐待されて自分も子供に虐待してしまうのは、親の書いた脚本を生きている機械です。
自分の人生を自分が主人公として生きるには、逆境を受け入れて向き合うことを習慣づけるしか方法はありません。
その覚悟を決めて行動すれば、同じく自分の人生を主人公として生きる志を持った人と出会い、共に人生を切り開けるはずです。

感謝には3種類あるらしいです。
1段階:してくれたことに感謝する
2段階:当たり前に感謝する
3段階:逆境に感謝する
私が心がけているのは2段階目で、3段階の境地にはとてもなれそうにありませんが、次また逆境が来た時に逃げない強さを持てるよう学び続けます。

雑話

ちょっと壮大かつ厳しめな読後感になりましたが、仏教徒でない私たちは日々の生活の中でつい感謝の心を忘れてしまいます。
酒好きの私は、もう十分飲んだのに無用に飲みすぎたりしてしまいます。
気持ち悪くなったり二日酔いになってしまうのは、美味しく飲んでもらいたいという気持ちを込めて造ってくれた人に失礼というものです。
飲み過ぎた翌日には反省し、感謝の心を思い出して、足るを知るを心がけなければいけません。
「分かる」と「できる」には距離があるので、できてないと自覚することができるに近づく第一歩です。
煩悩にまみれてるなと思った時、もう一度この本を手に取ってみたいと思います。


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