運動不足の話
いきなりですが体組成データです。
2024年9月1日現在
性別 男性
年齢 44歳
身長180cm
体重84.9kg
体脂肪率 18.9%
筋肉もあるが、ややむっちり。
現代社会において体のサイズが生死を分けるなんてことはまずない。
電球を交換する時ぐらいは重宝されていたが、今やそれもLEDに代わって、次に役に立つのは10年後。
だが、デスクワークなんていう仕事が存在していなかった時代は違う。
身体のサイズがかなり仕事を有利にしたのではないか。
先日、お盆ということもあり、少し自分の祖先について思いを巡らせてみた。やはり、この身体はどこからきているのか?と考えてみると先祖の遺伝子の成せる技である。
父:170cm 、母:165cm ぐらいだろうか。
昭和中期生まれにしては大きい方だろうか?
祖父母についても両親に聞いてみたが、残念ながら身長体重情報はわからなかった。
なんなら氏名すら怪しかった。
聞けば聞くほど、どうやらごくごく普通の農家の系譜。
それを200年ほど前にさかのぼると254人の先祖がいることになる。
その中に、絶対に「村一番の大男」がいたはずだ。
「あどでー、おでねー」と話していたに違いない。
「お、お、おにぎりが好きなんだな」と話していたに違いない。
間違いなくその人の血が私には流れている。
もう確信に近い。
人口の大半が肉体労働に従事して、汗を対価に変えていた時代。
その村一番の大男は無双状態だったはずだ。
さらにその前、文明と出会う前。
人間がより動物に近い生活だった時代。
働くとは、食べ物を得ることと同義だった。
例えば、木の実の採取や獲物の獲得。
他の動物と同様に身体活動が先にあって、食べ物と出会っていたはずだ。
そう考えると、生物の自然な姿とは、身体活動(消費活動)があって食物(摂取活動)が存在することではないだろうか。
「働かざるもの食うべからず」とはよく言ったものだ。
この意味は、「怠け者は食べる権利がない」だとずっと思っていたが、「お前それ生き物としてすげー不自然だからな」というメッセージだったのだ。(違う)
現代人の大半が「運動不足」といわれている。
意図的に運動した方がいいよね。
運動してる人ってすごいよね。
スポーツ習慣がある人って意識高いよね。
と健康増進のためのプラスαのように捉えられている感がある。
違うんじゃないかと思う。
そうではなく、そもそも生物としての「必要活動量不足」なのではないだろうか。
食べ物を得るための一定の活動量があることが本来当たり前であり、不足している方が不自然なことであると捉え直した方がいいのではないだろうか。
確かに、仕事でヘトヘトなのにジムに通うだと??はあ?
しかも、それをすごい!じゃなくて当たり前にしろ?
これだから脳筋は!と叱られそうだ。
しかし、複数企業の働く人のサポートをしていて、日常的に運動習慣がある人と、ない人ではメンタルヘルスやレジリエンスにおいても差があると感じる。
人間のより自然なあり方としての「運動」。
日常的に仕事で身体活動がある人はそのままでもいいかもしれない。
しかし、ほぼデスクワークの人においては運動習慣を取り入れることを、できたらいいよね。ではなく、すべきことという感覚にした方がいいのではないだろうか。
運動は苦手。嫌い。無理。
多くの人から散々聞いてきました。
ほんとに信じてもらえないんですが、自分もそうでした。
朝、少しだけ多めに歩く。
まずはここから始めてみるのがおすすめです。
本当にたったそれだけで1日が爽やかになります。
その積み重ねが身体も思考もより自然に近づけてくれます。
5年前95kgあった私が実践して感じたことです。
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