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いい人アピールがしたくて、遅刻癖が直らなかった話

時間を守るのが苦手な方も、そうでない方も。

こちらの記事は、ある日ある夜に見た夢が
自分のためのカウンセリングみたいで
印象的だったので、書きまとめたものです。

遅刻グセが直せない

いきなり自分語りを失礼しますが、
私は学生時代から、
それはもう大変にひどい遅刻魔でした。

…と、過去形で書いていますが、
今でも時間にルーズなところがあります。

朝の登校で門限に間に合わなかったり、
友達との約束の時間に遅れたり、
旅行で出発が遅れてしまったりして、
色んな人に迷惑をかけてきました。

待ち合わせの相手を心配させたり、
不快な思いにさせてしまったり、
とにもかくにも相手を待たせてしまうことは
しょっちゅうでした。

そのくせ、遅刻して居直れるほど
私は神経が図太くありません。

何かしらの理由で、
約束の時間を守れなかったとき
私はいつも、平謝りで相手に謝っていました。

遅刻してしまったときの私は、
それはもう見苦しいものです。

ときには、
ひどく狼狽し、全力で謝り、言い訳を重ね、

ときには(遅刻したのは自分のくせに)、
逆ギレしてしまったり、拗ねたりすることも
ありました。ああ、みっともない。

私はいつも自罰的、自責的、内罰的で、
どうしようもなく惨めな気持ちに
なっていました。

なぜ、私は時間を守ることが
こんなにも苦手なのだろう?

遅刻するたびに重罪人のような
気持ちになるくせに、
何度も遅刻を繰り返してしまう。

周りに迷惑をかけたくないのに。

そんな自分をどうしたらいいのか
わからず、20年以上経っていました。

「本当は、周りからなんて言葉をかけてもらいたかったの?」

ある日の晩、遅刻する夢を見ました。
待ち合わせに遅れる夢です。

現実でもよくやらかしてしまう、
自分の悪癖。

寝ている間の夢の中にもかかわらず、
自分の心の動きは、現実と一緒でした。

現実で20年間繰り返してきた
遅刻→相手への謝罪という
まさに同じシチュエーションが展開されて、

夢の中の私は、
現実と同じような惨めな気持ちに
心が支配されていました。

すると、罪悪感と惨めさで心がいっぱいだった
夢の中の私に、誰かが
(おそらく、夢の様子を俯瞰して眺めている
もうひとりの私が)
天の声のように語りかけてきて、
夢の展開が、流れが一気に変わります。

「本当は、周りからなんて
 言葉をかけてもらいたかったの?」

明晰夢(めいせきむ)

眠るときに見る夢は、見ている途中で
「これは夢だ」と気づくことができれば、
その後も夢を見続けながら、
内容を自由に改変できるといいます。

いわゆる「明晰夢(めいせきむ)」。
まさにそれが、このとき起きていました。

メタ認知的、客観的な、俯瞰的な自分が、
自責の念にかられて取り乱している
夢の中の自分自身に問いかけたのです。

「本当は、周りからなんて
 言葉をかけてもらいたかったの?」と。

現実でも、普段なら、今までなら
周りの言葉も耳に入らないほど
冷静さを失っているはずの
夢の中の私は、

その言葉に反応して、我を取り戻し、
この問いの答えを考え始めていました。

「お前はいいヤツだよ」

「本当は、周りからなんて
 言葉をかけてもらいたかったの?」

この問いに対して、
夢の中の私はこう答えました。

「お前は良いヤツだよ」

「キミに悪意がないことはわかっているよ」

「本当は遅刻したくなかったんだってことは
 ちゃんとわかっているよ」

「キミが私を大切に思ってくれているように、
 私にとってもキミは大切な人だよ」

私は、私が遅刻してしまったとき、
周りからこんな言葉をかけてもらいたいと
内心思っていたようです。

復唱しながら、夢の中で私は
「おいおい、こんなこと考えていたのかよ」
と、笑えてしまったんですね。

ははあ、なるほど。
だんだん、わかってきました。

どうやら私は、
いい人アピールをしたかったようです。

「いい人」を証明するために遅刻を繰り返してきた

私はこんなにも、
遅刻したことを反省している。

約束の時間を守れずにいたことを、
悪く思っている。

こうして罪の意識に囚われているのだから、
ほら、私はこんなにもいい人でしょう?と。

ずいぶん歪んだやり方で、
過剰にいい人であることを
周りにアピールしたかったようです。

「お前は良いヤツだよ」

こういう言葉を、
罪悪感と自責の念にかられているときに
周りからかけてもらいたかった。

だから、罪悪感と自責の念を
手っ取り早く味わえる
遅刻という手段を繰り返してきました。

他人からの評価は、自分が思うようにコントロールすることはできない

そして、悪い人と誤解されることを
ひどく恐れていたのでしょう。

そういえば、小学生のころ。
同級生にアイコンタクトしただけだったのに
「どうしてオレをにらんでくるんだ」
と言いがかりをつけられ、

にらんでいないと何度も弁解しても
聞き入れてもらえず、
何人かの同級生の前で、無実の罪が晴れぬまま
公開謝罪させられたことがありました。

こんなちょっとしたことを
大人になっても根に持って
覚えているくらいですから、
少しのミスや過ちで悪い人扱いされることを
私は極端に恐れて生きてきたのでしょう。

だけど、今ならわかります。

他人からの評価は、自分が思うように
コントロールすることはできません。

人を善悪でジャッジする人は、
その人がそういう目線で世界を見て、
そういう意識で世界を捉えているから、
善悪でジャッジするのです。

私が遅刻しようとしなかろうと、
時間を守ろうと守らなかろうと、
私に能力があろうとなかろうと、
一切関係なく、

私のことを
「いい人」と評してくれる人がいれば、
「悪い人」「イヤなヤツ」と思う人もいます。

私はただ、
傷ついた自尊心を守るために、
自分がイイ奴でいたかっただけでした。

だから、「お前はいいヤツだよ」
という言葉が欲しくて、
遅刻を繰り返してきたのかもしれません。

ギリギリいっぱい、
いい人であろうとし続けてきた自分の
自己アピールとして。

笑っちゃうような、くだらない理由が
夜眠る間に見た夢の中で明らかになるという
ひょんな出来事でしたが、

私にとっては、20年来の胸のつかえが
下りるかのような気づきでした。

もう、いい人を証明するために
遅刻する必要はないんだよと。

自分で自分を笑い飛ばさなきゃ
きっと今でも同じことを繰り返していたに
違いありません。

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