「無価値感」は「無価値」ではない
「無価値感」は「無価値」ではない。
(◯◯感は、真実ではない)
本当は価値があるからこそ、
私たちは無価値感を覚えることができる。
無価値感に価値を与えるのは、
いつだってわたし。
無価値感を否定すればするほど、
関係ないフリをすればするほど、
自分に価値があるフリをすればするほど、
アファメーションと呼ばれる手法で
「わたしには価値がある」と
宣言すればするほど、
無価値感の価値は、
わたしたちの中で大きくなっていく。
たとえば、怠惰が無価値だと感じるならば
本気で怠惰になってみるといい。
意外に退屈してしまうはずだ。
つい何かやろうとしてしまう。
怠惰にはなりきれない。
=無価値にはなれないことに気がつく。
家事ができないのは無価値だと感じるならば
一切の家事を止めてみるといい。
意外に、家事ができなくてもなんとかなる。
世の中便利だ。
=無価値にはなれないことに気がつく。
何かへの無価値さを認めた瞬間、
自分への無価値感はなくなっている。
あなたが「私は無価値じゃない」と
証明したがるなら、
無価値感はどこまでもあなたと一緒にいる。
「私は無価値じゃない」
その証明のために、
無価値感に価値があるのだから。
「私は無価値でもいい」と観念したら、
無価値感は価値を失い、どこかへ行く。
もう一度言う。
あなたには本当は価値がある。
だからこそ、無価値感を覚えることができる。
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