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安心感は人生の土台。

約7年かけて本気で潜在意識をいじってたら
いつの間にか作っていた絶対的安心感。

今まで散々色んな事を願ってきたけど、私が一番欲しかった感覚だったんだと
叶って初めて気がついた。

それは、今までそんなものがあるって知らなかったからで
謂わば初めての感覚なんやけど、「これが一番欲しかった」って何故か分かる。

何かがあるから安心でもなく
誰かがいるから安心でもない。

何もなくても安心していられるのは、何もないから安心って事でもあるっていう
言葉にしたらさらに意味わからんくなるけど(笑)


安心できる家みたいに、ここがあるから外で精一杯頑張れて
ここがあるから傷ついても、失敗しても大丈夫だと思える。

傷つくのが怖いと恋愛もできないし
失敗が怖いと挑戦もできないし
心配があると自分の力も発揮できない。

そこに気軽に飛び込ませてくれるのが「それでも大丈夫だ」と思える安心感じゃないかなって。


グッと踏ん張れる土台。

これが土台にあるのとないのとでは、全く違う世界線やと思うんよ。

著名人を見て「自分とは住む世界が違う」って思うのと同じくらい
次元レベルで違うことを、家なき子だった私は知っている(笑)

同情するなら金をくれ。

家から出れば、嫌なことも問題も起きるし、最悪なことも危機だと感じることだって起きる。
他者と生きている以上、それは絶対に起きてしまうし、起きない人なんで絶対にいなくて
SNSで幸せそうに笑うあの人やこと人にだって、何かしら起きてるんよね。

「私だってそうじゃない時もある!」って、昔、急に何の脈略もなく知り合いの子に言われたことがあって
(多分その子は相当ストレス溜まってて八つ当たりを起こしたと思われる)
「当たり前やろ。」って返答したんやけど、その人の性格を全然知らなくても私にだってそれくらいは分かる(笑)

相当ガマンして、無理して笑ってる人もいるし
自分の中に安心の土台があって、笑えてる人もいて
どっちがいいとか悪いとかではなく、「自分はどんな風に生きていきたいか」は
いつどんな時だって選べることがこの7年で分かったんよね。


それが起きないように、自分が傷つかないように常に回避する生き方をするのか
嫌なことも傷つくこともあるかもしれないけど避けずに「そういうもん。」と生きていくのか

いつだって、どんな環境でどんな状況であっても選べる。

その時、「そういうもん。」として生きていきたい。と思った私にとっては
安心の土台は絶対に必要なものやった。


知らない間にできていた人生の土台やけど、知らなくても作られていたのは
無意識化の自分を潜在意識からどんどん健在意識に引き上げてきた結果
意識していない分完成には時間がかかったけど、パズルみたいにパーツが揃っていって、一つの形になったと思ってて。

どこまでいっても深い、面白い遊びだなって思うのでした。

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