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花束のようなものにやられた。この脚本家はとんでもないウソツキに違いない

※『花束みたいな恋をした』の感想なのでネタバレのようなものを含みます。まだ見ていない人は絶対に見ないでください。自己責任でお願いします。

二週間ほど前に一人で、平日おやつタイムの時間帯に映画館の最後列でみてきました。まず、一番最初に感じて二週間後の今までずっと残っている感情は変わらず。

「美しすぎた、むり(語彙力)。」

って感じでした。

終わった後、サン=テグジュペリの『人間の大地』を読み直しました。
「花束」って言葉を通じてつながっているなぁと思ったからです。

----以下、ネタバレをたっくさん含みます----
|ハイライト|
1. バールのようなもの、じゃんけん、googleマップ
2. 麦くん「あ、聴けます」
3. 『人間の大地』
4.  こんな素敵な物語を作れる人間はとんでもないウソツキに違いない


麦くん目線で語りたいんです。

たしかに令和最大の恋愛ものと言われる理由もわかります。絹ちゃんと麦くんの恋を通して、自分たちの過去と現在と未来を見る。そんなレンズのような、鏡のような作品になっているんだってこともわかります。

だけど終始、僕は麦くんの葛藤と成長から目が離せなかった。最後の最後まで、麦くんの言葉選びが秀逸で、控えめで、どこか寂しくて、愛おしい。

彼らが生きた5年間で、麦くんの言葉から読み取れる彼の気持ちや考え方は180度裏返っているように感じました。
絹ちゃんや、彼女との暮らし、周囲からの無言のプレッシャー云々...すべて受け入れて、社会っていう巨大で不可解で矛盾を孕んだ生物の一部になって生きようとした麦くんに大拍手を送りたいです。
素朴をあんなにも直線的に描き出す脚本の力も、想像を実現させ体現する役者さんに対しても圧巻の一言です。

・バールのようなもの

麦くんと絹ちゃんが出会って、改めて自己紹介をするシーン。絹ちゃんは好きな言葉を「替え玉無料」って言います。それに対して、麦くんは「バールのようなもの」と言います。バールのようなものは、志の輔さんの落語を指すのか、はたまた短編集の方を指すのか、両方を受けているのか。最後の最後まで出てきませんでした。

でも、「バールのようなもの」が麦くんの人生観の表れだとしたら、『花束みたいな恋』というのは、花束ではない可能性だってある。花束のようなものであって、花束とは断言しない。もしかしたら、この恋は花束みたいだったかもしれないけど、はっきりとはわからなくて曖昧で掴みどころがない。だけど、確かにそこにあって、名前のつけようのない感情をくれた恋って意味で個人的に読み取ることにしました。

・ジャンケンでパーを出す

これまた冒頭、寒風が吹き荒ぶラブホテル街。麦くんはパイプ椅子に腰掛けて、人の数を測る仕事をしながらじゃんけんに潜む矛盾、人生の不条理さについて嘆きます。

「石がハサミに勝つのは理解できる、でも紙が石に勝つのは理解できない。人類はなぜそんな矛盾に満ちたルールを受け入れてきたのか。人生は不条理だ」

でも、物語の終盤。最後の最後で、猫のバロンをどちらが引き取るか決めるシーン。麦くん、、、パー出すんですよ。

それで、絹ちゃんが、「なんでパー出すの」って言ったら、麦くんは「大人だから」って自虐っぽく言うんです。

もう、ここで、僕の脳はオーバーヒートをおこしました。ニヤニヤしながら飲み物をいただきました。
「麦くん!!!そっか、ちゃんと…ちゃんと受け入れたんだね。パーをポケットに入れてこれからも生きていくんだね…。」って感じで。

ここ、たまりませんよね。
変わらず在り続ける絹ちゃん。
変わりながら苦しみ、受け入れていく麦くん。

どっちの生き方もたまらない。最高。

・google ストリートビュー

絹ちゃんと出会うまでの麦くんにとって、人生の絶頂は、Googleマップに載ったあの日でした。大学の友達に自慢し、顔の可愛い卯内日菜子に自慢し、ちやほやされる。それ以上の興奮がこの先あるのかと、麦くん自身も言ってました。

そこから絹ちゃんと出会い花束のような5年間を過ごし、別れ、それぞれ別の道を歩む。

最後のシーンで偶然見つけたのが、Googleマップに映る、多摩川沿いを楽しそうに歩く麦くんと絹ちゃんの2人の姿です。

つまり、麦くんの人生最大の興奮は5年の時を経て、新たに塗り替えられたわけで。終わってしまったとしても、別々の道を進むことになってしまったとしても。過ごした時間は、かけがえのないもので、アップデートされた人生最高の日々だった。

麦くんは大きな生物の中で生きることを決め、生気を失ったように、絹ちゃんの目線には見えていました。
でも、それは麦くん自身が、戦い・葛藤し・混乱して生活の一部だったんだと思います。

そんな日々を一歩ずつ乗り越えて、ふとした瞬間に振り返ってみたら今までの人生で一番素敵な日々だったと胸を張って言える。麦くんの不器用で必死な生き方に、僕はたまらなくなってドリンクホルダーを強く握りしめ、誰もいない隣の席に共感の舞を訴えかけていました。

もし、地元の映画館のL列の真ん中一番左端の座席のドリンクホルダーがゆがんでいたら、きっとそれは僕です。すみません。


全僕が震えたセリフ5選 (独断と偏見)

麦「この間ね、電車に揺られていたら隣に座っていた人も読んでて…」
絹「電車に乗っていたら、ということを彼は、電車に揺られていたら、と表現した」

最初、麦くんが「揺られていたら」と言った瞬間に僕の脳内では、
「麦くん、そこ揺られてるって表現するのね、最高だねあなた...。」って狂喜乱舞してたんですけど、すぐ後に、絹ちゃんが、フォローを入れるように呟いていて。あれ、僕ってもしかして絹ちゃんかな?有村架純かな?って思いました。ふざけました。

だけど、これを友達に話した時。
「そんな表現ふつうするやつおらん笑笑」
って言われ
「…僕、こういう表現よく使うねんけど....」
ってなって友達と2人で爆笑しました。

わかってるんですよ、言いたいことは。だけどね、なんだかそっちの方が話してて良く表せてるじゃないですか。ね。

絹「今話しかけないで。まだ上書きしないで」

初めて家に行った後、ガスタンク・ザ・ムービーを見たり、髪の毛を乾かしてもらったり、イラストを眺めていたりした余韻に浸りながら家に帰ってくる絹ちゃん。

玄関先で妹と父親に遭遇し、ゲームで言う村人AとBのような言葉をかけられる。たった今の今まで、ヒーローとヒロインだったのに、世界の中心にいたような気がしていたのに、一気に現実世界に引き戻される。

その際に、絹ちゃんが呟くこのセリフ。上書きされたくない時、世界に帰ってきたくない時ってきっと誰にでもありますよね。そろそろ人生にオートセーブがついてもいい頃合いだと思います。そうしたら僕は、好きな人との会話を永遠にリピートする。きっと堕落の始まりです。

絹「お店の人に感じいいなとか、歩幅合わせてくれるなとか、ポイントカードだったらもうとっくに溜まっていて」

そこまで、言葉自体に唸りはしない言葉だけど、相手の気に入った部分にハンコを押していく立場を想像してみたら、妙な納得感があった。
それに、絹ちゃんの加点方式な性格も現れているので、このセリフは好きでした。

絹の父「君はワンオクとか聴かないの?」
麦「あ、聴けます」

これ、やばくないですか?
正直これがランキング1位です。僕的ランキング1位。
「聴きます」じゃなくて、「聴けます」なんですよ。

もう一回言わせてください。
「聴きます」じゃなくて「聴けます」なんです。


今年一番面白くても、口角を少しあげるくらいの表現しかない麦くんの最大の主張なんですよ。でも、絹ちゃんの両親はそもそも話なんて聞いてないんで、自分たちの話したいことを述べるために相槌を求めているだけで、この主張にも気づいていないんです。
最高かよ...。これはもう「はぁ、むりいぃぃ」ってなりました。

麦「……好きなこと活かせるとか、そういうのは人生舐めてるって考えちゃう」

『花束みたいな恋をした』の主人公二人は冒頭の一人語りにもあるように、両方とも感情が表に出るタイプではない。興奮していても、一見わからないような二人。だからこそ、麦が徐々に感情をあらわにしていく姿を見て、胸が苦しくなった。

なかでもこの言葉は一番、威力と衝撃波の強い言葉だったと思う。聞いていて辛かった。

『人間の大地』と『花束みたいな恋をした』

ここまで『花束みたいな恋をした』の麦くんの成長とお気に入りセリフについて話してきました。

でもそれよりも、僕はこの映画を見終わった瞬間にサン=テグジュペリの『人間の大地』を読みたくなったんです。
最後に読んでから期間が空いていたので、なんで『花束みたいな恋をした』と『人間の大地』がつながったのかわからないまま、読んでいき、そのつながりは徐々に確信に変わりました。

光文社が出している『人間の大地』のあとがきにも書かれていますが、サン=テグジュペリはパイロットとしての経験やお話を本にする際、友人から受けた助言を元に、「花束、もしくは穀物の束」になるようイメージして創り上げたとされています。

サン=テグジュペリ自身の飛行経験や、彼の友人からのお話の全てを振り返りながら、時には加筆しながら一本、また一本と縫い合わせていく。花束の中の調和を乱してしまわないように、一本一本の配置にこだわりながら、向きにも色にもこだわりながら、『人間の大地』は仕上げられたそうです。


このあとがきに再び辿り着いたとき、『花束みたいな恋をした』の美しさの正体が見えた気がしました。

坂本裕二さんも「日記のような形で書いたA4用紙、40枚を基盤にして仕上げた」と語っており、一瞬一瞬の美しい刹那を鮮やかに切り取って、違和感なく、凪いだ海の表面のようにつなげている。

脚本だけでも素敵なこの作品を、映画では、流れを作る多摩川や、川沿いのアパート、ベランダからの景色、ソファといった、"全体を構成する優れた個"を、画面いっぱいに映し出している。

だからこそ、どの瞬間を切り取っても写真になる。絵になる。

それは偶然じゃなくて、必然で、意図的で、作戦だ。。

花束のような、5年間の生活の、1本ずつを壊さないように、折れないように広げていったから。


感想

この世界のどこかにあるお話を、自分の世界の現実と融合させるなんて、なんて恐ろしい映画だと思いました。ここまで生活を侵食し、強制的に世界の色合いを変えてしまうなんて映画の力はやはり侮れません。

感動する言葉選びもさることながら、「一見いいこと言ってそうに聞こえる絶妙に不可解な言葉」を描き出すものうまいなぁと思った。

(これは完全に主観なので、あくまでも個人的な見解だと言う前提で読んでください笑)

・「世の中やるかやらないか」
・「社会に出ることは、お風呂に入ること」
・「恋愛は生モノ、賞味期限がある」
・「分けちゃダメなんだって恋愛は」&「恋愛はひとりに一個ずつ」

このバランスが本当にいい意味で妙なんです。一見いいこと・正しそうなことを言ってそう。でも、なんだか陳腐。そんな言葉を登場人物に与えながらも、

「細い雨が外灯のオレンジで切り取られて降り注いでいた」

みたいに繊細かつ、艶やかに情景を魅せるような言葉も溢れていて、この脚本さんはとんでもないウソツキだと思いました。

とんでもないウソツキじゃないと、こんなに人を暖かくする物語は作れるはずがないので。

総じて、坂本裕二というウソツキに、心臓持っていかれました。

ありがとうございました。何度でも見たい映画です。

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