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今日は今日で、昨日は昨日で、毎日違う自分に出会って、違う自分と向き合っている。

髪の毛につけたワックスも落とさずに、ベッドから片足だけを落とすようにして何時間も寝てしまっていた。ここ最近、起きてすぐの状態が憂鬱であることが多い。お腹の奥に沈み込んだ脂肪分たっぷりの生クリームみたいなそれを取り除くために、風呂場へ向かい昨日のままの服を剥ぎ、シャワーを浴びる。朝にシャワーを浴びる習慣があれば、毎日澄んだ気分で生活を送ることができるのにと思う一方、シャワーを浴びることそのものが大変億劫で、この習慣を生活にインストールするのは難しいだろうなとも思う。

自分自身の欲しいものがよくわからなくなる。真っ暗な海を航海している道中で、持っていた羅針盤が壊れてしまい辿るべきベクトルが見えなくなる。こんな時に、自分が感じるのは「恐れ」と「興奮」であり、どちらか片方だけを感じられるストレートな自分であってほしかったとつくづく思う。
その相反する2つを腹の中に住まわせるが故に、自分という人間の中で毎日嵐が発生している。

研究の道に進めば、時間の流れから離れてゆったりと停滞する時間の中で学問に没頭できると思っていた。でも実際、全ての研究が学問のみと愛対している訳ではなくて、それは職業であり、雇用関係であり、紋切り型の世界であった。できるだけ人と離れて生活したい、話をしたくない、読んで書いて、好きな人と美味しいご飯を食べられればそれで良いって思ってた。
でも、計画なく生きると自分の人生は垂直に落ちていく。
人のいる方向へ、コミュニケーションの求められる方向へ、わかりやすさが重要な方向へ、人と人とをつなげる方向へ、前に立つ方向へ、何かアクションを起こす方向へ。
そんな生き方もきっと身体に合っているのだろうと、理解はしている。

どちらの自分を選ぶにしても、そろそろ決めなければいけない。
どちらの自分ならあなたに看取ってもらえるだろう。最後の瞬間まであなたの隣にいられるだろう。自分から離れるようなことなく、突然すべてが停電して真っ暗になってどこにもいなくなってしまうような、そんな感覚を持たずに生活できるだろう。

多分、そろそろ時間だ。

幸せに暮らしてほしい家族がいる。
生きていて欲しい友達がいる
ずっと見ていたい人がいる

自分は、何ができるだろう。
彼らの人生に何を残せるのだろう。

人がスキ、人がキライ。
話がしたい、これ以上話したくない
目を見たい、目を合わせたくない
抱きしめてあげたい、触れないで欲しい

そんなアンビバレンスを抱えて今日も生きなければいけない。
今日も、うまく笑えるだろうか。


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BOOKOFFで110円の文庫本を買います。残りは、他のクリエイターさんを支えたいです