繊細で傷つきやすいあなたに「ちょっと変わってる人になる」ススメ

最近、HSP(ハイパー・センシティブ・パーソン)という単語が流行っているらしい。

人一倍繊細で傷つきやすい人を指すとのこと。

実際にHSP的な傾向があって大変な人もいると思うけれど、若く多感な時期はだいたいみんな繊細で傷つきやすいものだろう。

大人になるほどに、おおかたの人は頑張ったり頑張らなかったりして鈍感になっていくのだけれど、それは傷つきやすい時期を経た後の話だ。

じゃあ、どうやって傷つきやすい時期を乗り越えたらよいのだろうか。(あるいは、どうやって傷つきやすい自分を守ったらよいのだろうか)

ひとつの方法として、私は「ちょっと変わった人になる」ことをおすすめしたい。

電車なんかで子どもが「お母さん、あの人変わってる」と言うあの「変わってる人」だ。

でもあんまりやりすぎると日常生活に支障をきたすのでこれはあくまで"ちょっと"変わってる人のススメ、である。

なぜ私が「ちょっと変わってる人」をおすすめするかというと、もちろんそこにメリットがあるからである。

まず、ちょっと変わってる人というのは例えるなら国道上の「外ナンバー」だ。つまり、社会コミュニティ内において治外法権的な特権を持っているといっていい。

あくまで常識を持った普通の人として振るまっていると、ときどき仲間内で小さな間違いをしでかしただけでたいへんな非難の的になる。

しかし、ちょっと変わった人が奇抜な服装で登場しても「まあ、あいつは変わってるから」で終わる。

たまたま近所で小躍りをしているところを友人に見られても「まあ、あいつは変わってるから」と日常の範囲内のこととして受け止めてもらえる。

ここまで突飛な行動でなくとも少々感情的になりすぎたり、あるいはコミュニケーションがうまく取れないような場面でも「ちょっと変わってる人」でいるというのは本人にとってとても楽なことだ。

また、別のメリットとして「自分の小世界を育める」というものがある。

若く繊細な時期に無理をして自分を周囲に合わせ続けてしまうと、ちゃんと「自分」というものが育たない危険性がある。

「ちょっと変わってる人」でいることで、他人や社会ルールに干渉されない自分だけの小世界を誰にも邪魔されず守り育んでいけるというのは大きなメリットだ。

ただ、もちろん「ちょっと変わってる人」でいることのデメリットもある。

まず第一に、十代や二十代で友人たちと「違う」ことをするのは大変に勇気のいることだ。特に若いうちは自分を取り巻くコミュニティが狭くて限定的だから、そのなかで周囲から浮いてしまうというのはできれば避けたいことだろう。

けれど、あなたがもし繊細で傷つきやすく周囲との関係性で悩んでいるなら、ひとつの選択肢として「ちょっと変わってる人」として、いくぶん生きやすくなることがあることを知っていてほしい。

ひとつの真実として、生きるのは子どもだろうと大人になろうと大変だ。大人になったって人生の辛さは変わらない。ただ、うまく生きていく方法をいくつか身につけていくだけだ。

「生きづらさ」なんて言葉が流行るもっと前、私も多くの人と同じように生きづらさを抱えていた一人だった。

私は「ちょっと変わってる人」でいることで救われた部分がたくさんあり、そのおかげで大人になった今の自分を好きでいられている。

「ちょっと変わってる人」でいることは少しの勇気が必要だけれど、大切な自分と自分の人生を守るための有効な方法として、私はここにおすすめしたい。