夢と魔法と、その周縁。『フロリダ・プロジェクト』
※映画の評論をしてみます。完璧なネタバレがございます。ご注意ください。
「フロリダ・プロジェクト」それは、ディズニーワールドを作る際のプロジェクト名だったらしい。
ディズニー、みんなが楽しめる夢と魔法の国。
キラキラした素晴らしい世界、
ミッキーは「あきらめなければ夢は叶う」と歌う。
たくさんのおもちゃが広がり、だれ一人傷つけられない。
私は、この国の魔法が何でできているか、少しだけ知っている。
それは外野から守る力である。
何がこの世界にとって正解か不正解か。
不正解なものは、ディズニーにはいることは許されない。
高潔な世界に必要なのは、明確な判断基準だ。
明確に汚いものを線引きして、
見せたくないものを徹底的に排除する。
現実などを見てしまったら、夢や魔法など守れないからだ。
インディアンや黒人への差別や虐殺など、アメリカが通り過ぎてきた歴史はそこに存在しない。ただバンジョーが流れる古き良きアメリカがあるだけだ。
でも、他者を排斥し続けていたフロリダのディズニーワールドの周縁は
車も持てないような、貧困な世界でおおわれている。
裕福な人たちは、彼らを見なかったことにして、もしくは眉を潜めて通り過ぎていく。
夢と魔法の国に残酷なリアルはいらない。モーテルに起きていることを素通りして人々はそこを走り抜ける、無視という排除をしながら。
でも、ムーニーたちは、そこで生きている。
限られた夏を精一杯感じている。
アイスクリームはおいしい。
火事の焦げ臭いにおい。罪悪感の気持ち。
そして、湯舟のぬるい温度を感じながら、今の物語がもう長く続かないことを知っている。
オレンジワールドの張りぼては、
夢の国を離れたことでよりむなしくそこに存在し、
カワイイアイスクリーム屋さんは、子どもにののしる。
ピンク色のインスタ映えするモーテルで、心を引き裂かれている人がいる。
幻想的なカラーリングの世界は、
ねっとりとしたリアルを浮かび上がらせている。
車を持てないほどの貧困は、母親のレイリーをモーテルに縛り付けている。
ホテルから出るのも、薄いビーチサンダルだ。
レイリーにとって、外部の世界に生きることはできない。
逃げるすべがないままだ。やがては彼女自体も排斥されることになる。
貧困は、社会の仕組みの犠牲者でもある。
仕組みから排除され、こぼれおちて。
たどり着いたのがあのモーテルだったにすぎない。
すべての夏がそうであるかのように。
彼女たちの夏は、夏らしく輝きながら終りを迎える。
貧困はじわじわと、居場所を失わせていく。
しかし、ラストカット。
すべてから守られた中へ、彼らは突入する。
それは、私にとってはひたすら逆襲に見えた。
醜いもの汚いもの見てはいけないものを排除し続けるディズニー。
その自分たちを無視し続けたものに、向かって走り出す。
小さな魂たちの逆襲をする。
しかし、カタルシスを感じるとともに、
このあとのリアルな展開を思い浮かべている。
レイリーとムーニーは確実に引き離される。
二人の感情は行政の中で処理されてしまう。
いくらディズニーが無視しようとも、圧倒的な現実は無視などできない。
私達はいくら虚構に騙されようとも、排除したものをなかったことにはできなかいはずなのである。
そこには本物の夏の匂いがある。涙も罪悪感もある。
ムーニーの小さい体からいっぱいに発せられる感情は、
私達が同じように感じてきたものだから。
私達は人だからどうしたって、夢や魔法には憧れてしまう。
でも、現実は、無視したはずの現実は、
すぐそばで私達をみている。
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