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大学院生というレッテル


今何やってるの?職業は?と聞かれた際に、「一応大学院生です」「まだ学生なんです」といってしまう件について。(私だけかもしれない)



院生の正体

大学院生という身分について世の中は高く評価しすぎなのではないか、と思うのです。率直に言うならば院生だからといって期待しないでほしいということです。

勉強はある程度できる(努力してきたと思っている)かもしれないが、頭がいいからではなくてただ物事や事象、学問に対する興味があるだけなのだ、と言いたい。
もちろん、頭の中の引き出しが多い人や、何事にも優れている人は多いけれども、それ以外も沢山いる。ゼミで議論するときに的外れなことも言ってしまうし、わからないことだらけで恥ずかしくなることもしょっちゅうある。そして博士課程にいる先輩からのありがたい助言を元に次のゼミの準備をしての繰り返し。

こんな院生もいるのです。

学部と大学院の違い

大学院は、学部と違って自分の専攻をさらに極めたい人の集まりであるのは間違いないが、頭がいい人が行ける場所と認識するのは間違いである。

私自身も、学部生の頃は院生の先輩方がキラキラしていてカッコよく見えていたが、学年が上がるにつれて、え?こんなもんなのか?思ってたんと違くない?となりました。そして大学院で後輩が入ってきた今、さらにM2の立場が怖くなってきている。

建築学部の1.2年は必修科目が多く、専門分野の授業でも基礎しか扱わない。3年になってようやく好きな専門分野を選択して授業を受けれるようになり、後期に研究室配属が決まり(大学によっては4年生からのところも多いと聞く)、そこから、さあやるぞと意気込むと、就活が始まるのである。不条理だとつくづく感じる。
多くの人が言うように、就職のために大学に通っているようなもんである。
最近は、どんどん選考が早まっていて夏のインターンも倍率鬼高いし、就活って何なんでしょう。

当時の私は、せっかく大学に入ったのにこんな浅い知識で卒業して働くなんて、、と思い大学院進学を決意。他大受験に踏み切ります。(いわゆるFランから国公立へ)


一人必死に院試の勉強に励む日々はとにかく辛かった!特に四年のGW明けからは就活がほとんど終わってみんなが遊んでいる中誘いを全て断り、院試に集中しなければいけない環境は思っていたよりも過酷でした。

他大受験に関しては別のところで詳しく書きたいので、ちょろっとですが、まあメンタルを保つのが大変でした。
大学院生なの!すごいわねと言われたときに、この受験の経験だけはその賞賛に値してもいいのかなと思ったくらいです。

一応大学院生

よく、東京大学の学生が「一応東大です」「東京の大学です」といってしまうという声を聞くが、この現象に似ていると思う。

彼らが謙遜の意味を込めているのに対して、異なる点としては私が自分に自信がないから。私が言う”一応”には、こんなんだけどという意味が込められています。
あとは、期待しないでくださいという前置きのようにつけているのかもしれない。これも自信がないことの表れですね。名の知れた大学に進学してしまったためにこういった拗らせが起きてしまいました。

もう学歴社会ではないなどと言う割には、大学名で評価してきますねまだ。むしろ自分が学歴に囚われているのだと痛感します。大事な判断材料の一つではあるけれど、その一つでしかないということを忘れないようにしたいです。

補足ですが、私自身とても楽しんで大学院生やっています。建築学が私に合っていて、興味の対象であったことはラッキーとしか言いようがないですが。




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