見出し画像

森は何も語っていない

香料があまり好きではないので普段なら絶対に買わないはずが、たまたまなんか良いかもと思いオリーブの香り付きのリップクリームを購入してみたところ、やっぱりあまり好きになれなかった。
それで、ふとリップクリームに香りがついていることのメリットが気になり、「香り付きリップクリーム メリット」で調べたら「リフレッシュ」とか「癒される」と書いてあって(特に意味とかは、ないんだね)と思った。

単に癒されるとかの理由でのみ存在しているものを簡単に無意味と思ってしまう節が私にはある。アロマキャンドルとか、入浴剤とか、香りつき生理用品(これは本当に最悪)とか。
でも最近、無意味と判断して切り捨てたそれらは、もしや私の暮らしを彩る何かだったのではないかと、とみに思い始めている。

毎朝出勤のたびに通る札幌のバスセンター駅の地下通路には500m美術館という、地下通路の壁面に地元の美術学生やアーティストの作品を飾るスペースがある。そこには以前、冬の森が春へ向かっていくさまを森の動物たちなどの絵によって表現した大きな連作が500mにも及ぶ壁面に飾られていた。絵と絵の間には、厳しい冬に耐え、春を待ちわびる気持ちが表現されたような1フレーズの詩のようなものが添えてある。後半の春になってからのカラフルな絵は、作家だけでなく地元の人たちが自由に描いたような、くだけた箇所もあった。

かつての私は、このような自然の豊かな風景を描いた絵画などを見ると(何にも言及していないならそこにある意味がないじゃん)と思っていた。
芸術作品に対して作家の葛藤やエネルギー、思想や哲学を感じたい。美しい絵画を見て、ただ美しいとだけ感じることなんて退屈だと思っていた。

しかし森の絵を毎朝見続けてるうちに、自然がただそこにあるだけで美しく思えるように、この森の絵もただそこにあり、春が待ち遠しいね、と思いを馳せる、それだけ素晴らしい作品なのではないか、と思うようになった。
森は何も語らず、意味も持たず、淡々と季節を出迎え、また見送る。
ここにあるのはそういう絵画なのに、なんにでも意味や理由ばかり求める自分こそ一番野暮で退屈だったことを思い知った。

そんなことを考え終わった頃に、フと通りがかりったお店ですごく好みの匂いのルームフレグランスを見つけたので生まれて初めて部屋に置いてみたら、部屋に居る時間が増え、毎晩寝るのが楽しみとなり、癒され、(意味が、あるじゃん)と思ったのだった。意味あるとかないとかの判断は、それをやってみないことには分からない、と知った33歳の春でした。(もう夏ですが、この文章を書き出したのは春でした。)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?