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一口ちょうだい

「それ、一口ちょうだい」

 今まで女性とデートしていて何度言われたかわからない言葉だ。

 男性と女性が二人でぶらぶら歩いていて、少し疲れて手近なカフェに入る。たいていケーキセットやデザートセットなどがあり、飲み物と本日のケーキなどをチョイスする。しばらくして、テーブルに注文したものが到着する。おいしそうとかきゃあかわいいとかひととおり感想を述べてそれぞれ一口食べる。おいしいとかそうでもないとか思ったのと違ったとかさまざまな感想を口に出したり出さなかったりする。ややあって女性が言葉を発する。「それ、一口ちょうだい」

「それ」とは無論、男性側の注文したケーキなりデザートのことだ(男性と女性が違ったケーキなりデザートを注文しているのが大前提だ)。この先は想像だが、おそらく男性側はとくに抵抗することもなく「はいどうぞ」と一口分を差し出すのだろう。おそらく女性側からも「私のも一口食べていいよ」との発言があり、ひょっとすると男性に「あーん」してあげるのかもしれない。

 たぶんお互いを知ってまだ日が浅いとかお付き合いする前とかなら言わない言葉だろう。ある程度仲良くなった関係の上で出てくる言葉だと想像する。まぁ平和で微笑ましい光景と言えるのだろう。


 ところがだ、この状況にどうしても納得いかない自分がいる。ケチだとか心が狭いとか言われるのを覚悟で書く。女性と歩いていてカフェなどに入りケーキセットを選ぶとき、みなさんはどのようにして選択するか。僕はイチゴが苦手なのでイチゴの絡んだメニューは直ちに除外される。普段からだいたいの好みというのがあり、チーズケーキ(レアでもベイクドでもいいがレアの方がより好みである)系統のものを軸に選択を考えるが、チョコレートケーキの類はあまり選ばれない傾向にあるもののそんなチョコレートケーキにも例外はあり、ショコラフランボワーズであれば大好きだし昔京都の四条堺町を上がったところ錦市場の近くにあった「オ・グルニエ・ドール(PATISSERIE AU GRENIER D’OR)」のチョコレートケーキ「ピラミッド」は、4種のチョコレートを使った贅沢なもので今まで食べた中でいちばんおいしかったがパティシエの西原氏は引退してしまいオ・グルニエ・ドールは閉店してしまってピラミッドはもう食べられない。それはともかくとして、もともとの好みを軸に本日のラインナップなどから迷ってまよってチョイスする。ほほぅ今日はブルーベリーのレアチーズがあるのかいやしかしこのピスタチオのケーキもいやいやショコラオランジェも捨てがたいなどと逡巡した挙句レアチーズケーキを選ぶといった塩梅だ。

 かくして僕の目の前にはブルーベリーのレアチーズケーキ。彼女の前には大きな栗を戴いたモンブラン。僕はレアチーズを一口食べて想像通りの味と自分の選択の結果に満足する。彼女もモンブランを一口食べて「おいしい」とにっこりする。だが次の瞬間彼女の目がキラリと光る。そらきたぞ。「ねぇ。それ一口ちょうだい」

 別にモンブランが嫌いなわけではない。しかし今この瞬間モンブランが食べたいわけではないのであり、レアチーズケーキが食べたいからレアチーズケーキを選んだのだ。君はモンブランが食べたいからモンブランを選んだのではないのか。「でも、それもおいしそうだなと思って」では、他人のものがおいしそうだと思ったら無条件でそれが手に入るとでも言うのか。「そんなことないけど。じゃ私のも一口あげるじゃない」僕はレアチーズが食べたいのであり別にモンブランを食べたくはない。なぜそこで交換条件が成立すると勝手に思うのかがまったくわからない。「せっかくならいろいろ食べられた方がいいじゃないの。お互いに」一般論としてはそういう考え方があることは理解できるが、今日は、僕はレアチーズが食べたいからレアチーズを選んだのだ。「女の子はいろいろ食べたいものなのよ」女の子は、ときたか。君はいつから女子代表になったのだ。君自身の欲望を女子一般の欲望にするなどとは傲慢きわまりない。「なによ。一口くらいいいじゃないのケチ」ケチ。出たケチ。選択に関する責任の話を一気に量的問題に還元し矮小化する言葉。「一口くらい」と言うなら一口くらい諦めろよという言い方も可能だ。量の問題ではなく、自らの選択に対してどういう態度を取るのかという問題だ。「もういいわ」そうか。もういいのか。

 実際にはここまで会話が煮詰まることはなく、僕もここに至るまで反論したのは数人に対してだけだ(その中には無論元妻も含まれる。何度この話をしたかわからない)。僕だって別に嫌われたいわけじゃない。たいていはどこかで折れて一口あげることになるが、もやもやは続く。


 で、先ほど「女の子はいろいろ食べたいものなのよ」と書いたが、たしかに「一口ちょうだい」って言い出すのはたいてい女性だ(男性と二人でケーキを食べる機会というのはほとんどないのでサンプル数的には十分とは言えないが)。あれはいったいどうしてなのだろうか。ケーキを選びきれないなら2個注文すればいいではないか。食べきれないからというならそれこそ目の前の男性に食べてもらえばいいのだ。それともすぐに他人のものがほしくなるのか。であればこの女性はすべての他人の所有物を掠奪しないと気が済まないのだろうか。さすがにそんなことはないと思いたいが、であればケーキのときにだけ発揮されるあのヴァイキングのような振る舞いはどういうことなのだろうか。あっ。ケーキバイキングってそういうことか!(違う)


 この文章を書くためにオ・グルニエ・ドールのことを調べていたら、なんと2019年に西原氏は土日限定で新店をオープンさせていたらしい。マジかよ!その名も「コンフィズリー・エスパス・キンゾー(Confiserie ESPACE KINZO)」。場所もグルニエドールのときとほぼ同じだ。京都に行く理由がまたひとつ増えてしまった。


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