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有償な愛など存在しない

愛に金を費やしていた頃もあった。

「すみません、愛を1ついただけますか」
「わかりました! 1つ300円になります!」
 少女は1人でこの店を切り盛りしている。親がいるのかどうか、まったく分からない。
「いつも、店番していて偉いね。ありがとう」
「いえいえ!」
 手のひらサイズの赤いハートのチョコレートを、茶色の紙袋に1つ入れる。代金を受け取った少女は、可愛らしい笑みを浮かべて、客である俺に手渡した。

その日の夜

「今日もこれしか売れなかったの?」
「ごめんなさい。なるべく1日中お店にいるようにしたけれど……」
「そうなの」
 少女は母親と2人で暮らしていた。母子家庭のため、「愛」を販売することで生計を立てていたのだ。
「まだ、たくさんあるのに……しょうがないから、明日朝一番で家を出てトーアズマに売りに行って」
「バスに乗るお金は?」
「はい。これだけあれば、足りるでしょ」
 ぶっきらぼうに金を手渡す母親は、そのまま二階に上がっていった。ここ最近、母親は冷たい態度を取り、彼女とまともに話していない。しかし、少女にとっては「唯一の家族」であった。

~早朝(少女目線)~

「行ってきまーす」
 返事はなかった。私はなるべく音を立てないようにして、年季の入った玄関の扉を閉めた。大きなリュックサックには、母親が調達した大量の「愛」と荷物が詰め込まれている。

「えっと、トーアズマ行きだから……どのバスに乗るんだろう」
 最寄りの駅には3つのバス停があり、それぞれ人が10人ほど並んでいる。トーアズマへ向かうバスに乗る必要があるのだが、案内板を見ても理解することができなかった。私の学歴は小学校までで止まっている。
「君はどこが目的地なのかな?」
「え?」
 いきなり声をかけられて驚き、素早く振り返る少女。見上げてみると細身で背が高く、目の細い青年が地図を持って微笑んでいた。サラサラで肩より少し長い黒髪を、紐で縛っている姿は、この辺りでは珍しい髪型だと思った。その直後、何かに気づいたような顔をする。
「あ、勘違いだったら悪いけれど……もしかして商店街の屋台にいた子だよね?」
「え。そ、そうです……今日からトーアズマまで行かなくちゃいけなくて」
「そうかぁ、それは大変だね。トーアズマに行くには、3時間ほどバスに乗っている必要があるんだ」
 思わず「信じられない」という顔になった。以前、街の人が1時間で着く、と話していたのを小耳に挟んだ。それは勘違いであったのだ。
「そんなにかかるんですか?! なんだか遠いところにあるんですね」
「俺、トーアズマからここまでバスで来ているから、一緒に乗っていようか?」
 思いがけない提案に一瞬嬉しそうな顔になったが、ここで「知らない人について行くのは危険」という言葉が脳裏をよぎる。確か小学校の時にクラスの担任の先生が言っていたことだ。
「や、やっぱりやめておきます……」
 ここの地域(ジャウーダ)だけで言われていることではないだろう。名前も知らない男性と2時間一緒にいたら、トラブルに巻き込まれるかもしれない。
「そっかぁ。言われてみれば確かに、俺は知らない人だよね」
 30秒ほど考えた末、青年はこう口にした。

「自分、ミッドっていうんだ。これで知らない人じゃなくなった!」
「いや……そういう意味じゃなくて」
 青年が思ったより変な思考回路を持っていたことに、大きなため息をついた。

「お客さん!! もう少しでバス発車するよ!!」
 バスの運転手の大声で、2人は急いでバスに乗ることになった。バスの車内は思ったより広く、座席もフカフカしている。料金も思ったより安く、持っていた10枚のお札の内1枚で足りたが……運転手はやたら声が大きかった。
「それでは!! 7時50分発、トーアズマ行きのバス、発車します!!」
 どこかの誰かが「声が大きいよ」と茶々を入れたので、車内は笑い声に包まれた。40代くらいの髭を生やした運転手は、照れくさそうに苦笑いをしていた。

 車内に乗って窓の外を眺めていた時、「このままジャウーダを離れたい」と少女は思った。キラキラした衣服に身を包んだ女性や、見たことの無い魚を売る商人など、初めてみるものに心奪われていたのだ。一日の大半を、ずっと屋台で物売りをしていた自分にとって、外の世界は美しく魅力的なものであった。
「お母さん、お腹空いた〜お父さんのところには、まだ着かないのかな?」
「はいはい、クッキーあげるからね」
 一方、車内では近くの席に5歳くらいの男の子と、その母親が仲良くお菓子を食べていた。私はその様子を黙って見ていたが、何を思ったのか男の子がクッキーをこちらへと差し出す。
「これ、1枚あげるよ」
 突然の出来事に驚いた私は、慌てて断った。しかし、男の子は手を引っ込めようとしない。
「お姉ちゃんお腹空いているんでしょ」
「あ、いや……そういう訳じゃ……」
 すると、ミッドがカバンから何かを取り出して、男の子にそっと手渡した。そのまま、クッキーを受け取る。
「お兄ちゃん、ありがとう! このクッキー、お母さんがお店で売ってるやつなんだ! アーモンドとキャラメルたっぷりで美味しいよ!」
 クッキーにはアーモンドがたっぷり乗っており、キャラメルでコーティングされていたので、ツヤツヤとべっ甲のように輝いていた。

「お兄ちゃんのくれたお菓子、面白いね! なんだか雲みたいにふわふわしてる!」
「ひょっとして……東の方のお菓子ですか?」
「そうですよ。ジャウーダの市場で、自分の故郷の菓子があったから、つい買ってしまいました。ロンシュータンという名前ですよ」
 細長い糸が何重にも折り重なった菓子を見て、周囲の乗客も「美味そうな菓子だ」とチラチラ見ていた。彼はトーアズマ出身だと言っていたが、それは事実のようだ。

「お昼ご飯持ってきてないの?」
「商品と必要最低限のお金しか入ってないので……」
 朝ごはんを早めに食べてきたのか、乗客たちはパンや容器に入った米料理を食べていた。しかし、私は商品である「愛」を売らなくてはならないので、肝心の食事は何も持ってこなかったのだ。
「これ、食べる?」
 おもむろにミッドが紙袋から何かを取り出して、ギュッと少女の手に握らせた。「君はもう少し食べないとダメだよ」という言葉も添えて。手のひらに乗る大きさの三角形の塊は、茶色の紐で縛られていてまだ少しだけ温かい。
「なんていう葉っぱだろう……? わぁ!」
「チマキっていうんだ。中にもち米と具材が入って蒸してあるよ。さっきのお菓子を買うついでに、地元の料理も買ったけど……口に合えばいいなあ」
 いつもよりちょっとだけ大きな口を開け、私はチマキを頬張った。モチモチとした味付きのもち米の中には、豚肉の小さな塊やタケノコの食感が癖になる。味付けは絶対ジャウーダでは手に入らない調味料だろう、と予想した。香ばしい香りと優しいコクのある甘さは、どうやったら作ることができるのだろうか、と私は考えながら咀嚼した。

「間もなくトーアズマ!! 終点のトーアズマに到着ですー!! 皆様、忘れ物をしないようにお気をつけくださいー!!」
 終始大声で叫ぶようにアナウンスをする運転手とも、これでお別れなのだろう。寂しい気持ちになったのか、先程の男の子はクッキーを1枚手渡していた。
「ありがとうございました」
「どういたしまして! 2時間のバス旅、お疲れ様!! 後ろの兄ちゃんも、バスの利用ありがとう!! また、バスで会えることを楽しみにしているよ!!」
 こうして、私とミッドはトーアズマの地面を踏みしめた。

 結論から言うと、トーアズマの地で賞品である「愛」は売れなかった。街を行き交う人々は、物珍しそうに眺めるが、大半は理解できないという目でこちらを見ていた。
「どうしよう……これじゃあお母さんに合わせる顔がないよ……」
「とりあえず、もうそろそろ日が暮れてきたから帰ろう」
「……」
 お金の心配があったことから、仕方なくミッドの家に泊まることにした。彼はトーアズマの街の外れに住んでいて、家までは30分ほど歩いてやっと到着する距離であった。
「すごい家……!」
「ああ、先祖とその親戚が作ったって聞いているよ」
 緑が生き生きとしている道を歩いた先に、白壁の大きなドーム型の家があった。初めて見る形の家に少しだけ興奮する。そんな私を見ていたミッドは、ガチャリとドアを開けるのであった。

 室内には2階建てで中央に螺旋階段があり、部屋の区切りになるものは、カーテンのような厚い布だった。
「君はこっちの部屋で休んでね。お客さん用のスペースだから、好きに使っていいよ」
「あ、ありがとうございます」
 すると、ミッドは大きな欠伸をして、「ちょっと寝てくるよ」と暗闇に消えていった。おそらく、向こうに自室があるのだろう。それにしても、お腹が空いた。知らない土地まで移動すると、体力がかなり消耗される。しかし、台所を勝手に使ってもいいのか悩んだ。

 結局、私は諦めて寝ることにした。来客が泊まるスペースにはベッドと何も飾られていない棚があり、何となく物足りなさを感じた。枕元にある丸いマークを押すと、オレンジ色の明かりが灯る。
「きれい……!」
 こんなに心を優しく包み込む照明器具は、初めて見たかもしれない。私はそう思うのと同時に、ベッドと棚の間に置かれた手鏡の存在に気づいた。
「……」
 鏡に映った自分の姿は酷くみすぼらしかった。肩より少し長い髪はボサボサで肌にはそばかすかあり、仕立て直して何年も着ているワンピースは、赤い花の模様が色あせている。
「君はもう少し食べないとダメだよ」
 バスの中でミッドに言われた言葉が頭をよぎる。確かにもう少し食べた方が、見栄えが良くなりそうだ。服は商品の売上からなんとか工面しよう。

〜翌朝〜

 私が台所にある食材を整理整頓していると、ミッドが目を擦りながらやってきた。髪は結んでおらず、黒い長袖の服とズボンがとても似合っていた。
「おはよう。……すごいね、料理得意なの?」
「おはようございます。見よう見まねですが、味は悪くないと思います」
 何となくで作ったのは肉団子が入ったスープ。味付けはトマトの缶詰とコンソメ、よく分からない種類のスパイスだ。
「お腹が空いてしまったので、勝手に台所を借りました。ごめんなさい」
「いいよ、謝らなくて。確かに昨日は夕飯なかったからね、こっちこそ気が利かなくてごめんね」
 ミッドは冷蔵庫から白い塊を出して、様々な表示がある箱に入れた。素早く操作をすると箱の中がうっすらと光り、唸るような音が聞こえてきた。
「これは電子レンジっていう、食べ物を加熱する機械だよ」
「初めて見た」
 その食べ物はホアジュアンといい、この地域の人たちにとっての定番のパンらしい。

「このスープ美味しいね! 見よう見まねでここまでできるなんて凄いね。店出せるレベルだよ!」
「ありがとうございます」
 ミッドのおかわりは、これで3回目だ。トマトの酸味と少し辛みを感じるスパイスが、体をじんわりと包み込む。肉団子は冷凍されてあるものを加えた。ホアジュアンは花のような形をしていて、ほんのり甘さを感じる。
「今日も商品を売りに行くの?」
 ふと、そんな言葉を投げかけられた。私は昨夜、鏡を見てショックを受けたことを思い出す。
「そうです……」
「なんか元気ないね。何かあった?」
「えっと……私、もう少し見た目に気を使った方がいいのかな、と思って」
 しばらく考えたミッドは、髪の毛を素早く結んだ。そのまま、スープの入った鍋を持ち上げ、残っている分を全て自分の器によそう。
「そういや……君は今、何歳?」
「16歳だと思います……」
「思います、って濁すのはどうして? 誕生日、祝ったことないの?」
「父親が生きていた小さい頃、祝った記憶はあります。でも、病気で亡くなってからは何も……」
 それは大変だったね、と返される。いつの間にか、作ったスープは完食していた。
「君の名前も、最初に聞くべきだったね。」
「そうですね。……最近、名前で呼ばれたことがないけれど、サネムっていいます」
「サネムか、その名前は書ける?」
 名前を書く機会がほとんどなかったので忘れてしまった。そのことを伝えると、ミッドは近くの本棚から様々な本を運んできた。うっすらとしか理解できないトーアズマの言葉を、わかりやすく解説した本だった。
「慣れれば簡単だよ。その本、良かったらあげるから」
「ありがとうございます! ……この封筒は?」
 その瞬間、本に挟まっていた封筒はミッドの手の中にあった。一瞬何が起きたのか分からなかった。
「これ、探してたやつだ。こんなところにあったのかー」
 その声に感情はこもっておらず、目は氷のように冷たい。それは捜し物を見つけた人の顔にしては、かなり違和感があるようだった。

 ミッドが食事の後片付けをしてくれるという。皿洗いをする姿をチラチラ見ながら、私は夢中になって本を読んだ。今まで本を熱心に読むなんて考えたことがなかったが、とても面白いものだと気づくことができた。
「面白いなあ」
「そういえば、さっき見た目の話していたけれど、今日一緒に買い物に行かない? 俺がお金出してあげる」
「大丈夫です! 商品の売り上げから払います!」
「その気持ちは嬉しいけど、昨日の売り上げはゼロだった上に、ぼったくりの危険性あるよ。特に若い女の子1人だと、トラブルに巻き込まれるケース多いらしい」
 半ば強引に同伴がきまってしまった。それだけではなく、お金も払ってくれるらしい。

〜街にて〜

「すごい……」
「ね! 結構立派でしょ! あ、久しぶり〜」
 カラフルな提灯が頭上に所狭しと設置されている。人でごった返してる風景には、何となく自分の故郷と重ね合わせてしまう。
「久しぶりですね。おや……ドンシャオ様の隣にいるのは、どなたですか?」
「ああ、この人は商売でこの地域に来た子。名前は……サネムっていうんだ」
「へぇー、小さいのにすごい。せっかくだから、店見ていくかい?」
 偶然にも服屋を営んでいる店主が寄ってきた。いい服が沢山あるよ、というように手招きする。チラッとミッドの方を見ると、代金は自分が払うから行ってきなよ、と返事があった。

 天井まで大量の服で埋め尽くされており、目の奥に色彩がジワリと染みていく気がした。

 そこからかなり時間が経ったが、私は着せ替え人形状態で服を着ていた。どれも素敵な服なのだが、勧められるまま試しているので、どれが好きなのかも分からない。
「店主、彼女結構疲れているみたいだから、そこら辺にしといてね」
「承知しました」
 そこからは現地の言葉に不慣れな私と店主の間を、ミッドが仲介して買い物を行った。赤い花だけではなく、白やオレンジの花も散りばめられたものと、白地に赤いリボンが胸元にあしらわれたワンピースだ。素材はよく分からなかったが、靴も履きやすそうなものを選んでくれた。その他にも隣の店で靴下と下着を購入して、買い物は終わり……ではなかった。
「髪整えてもらう?」
 その一言で向かいの美容室に連れていかれて、洗髪と散髪をすることとなった。
「はい、終わりましたよ~」
 途中で眠気が襲ってきて記憶がなかったが、目を開けた時には別人のような見た目になっていたので、思わず叫びそうになってしまった。髪型は肩までの長さであまり変化していないのに、ツヤツヤサラサラの髪質に変化していた。
「すごい……」
「お嬢さん、とっても素敵よ!」
 かろうじて褒め言葉を口にしたことは分かった。ミッドは親しげに店主話をしている。店主は何やら早口で言葉を発しているが、彼が両肩をポンと叩くと話すのをやめた。
「良かったね。代金はもう払ったから」
「ありがとうございます……」
 店で順番を待っていた他の客たちも、私を指さして何か叫んでいる。朝読んだ本に出てきた表現で「私も」というのがあったが、合っているだろうか?

「おいしい?」
「おいしいです」
 昼時になっても街の人だかりは減らなかった。それどころか、さっきよりも増えている気がしてならない。私は顔とおなじくらいのサイズの饅頭(味付けされた肉・野菜入り)を、頬張りながら歩いていた。
「もうそろそろ、商品を売ってお金を稼ぎたいんですが」
「え、何? 聞こえないよ」
 服も髪の毛も綺麗になったのだから、仕事をしてお金を母に送らなければ。はぐれないようにミッドの服の裾を掴みながら考える私は、何度かそう伝えたのだが、人混みがうるさくて全く声が届かない。

「お嬢さん」

 ふいに背後から手を掴まれた。あっという間に路地へと引っ張られ、抵抗する間もなく腹を蹴飛ばされてしまう。
「うっ……」
 腕を縄で縛られ地面に倒れた私に対して、ニヤニヤと笑う男たち。パッと見た限り20歳くらいの若者ばかりで、皆小汚い格好をしている。
「お嬢さん、ごめんねー」
「なんでこんなことするの……?!」
「安心しな。故郷のお母さんの元に返してやるから」
 言葉が通じるということは、この輩はジャウーダの人間なのだろうか。
「もう少しで引取りに来るんだよ、それまで逃げるんじゃねぇぞ」
「……」
 家に帰ることが出来る、と鵜呑みにすることができなかった。何故、私は腕を縛られて路地に倒れているのか。これから私はどうなってしまうのか、と不安しかない。
「引取りに来ましたよ」
 黒い衣服に三角形のようなワラ帽子を被った人が、少しずつ近づいてくる。その声には聞き覚えがあった。
「おお、来たか。いい商品が手に……」
 言葉が途切れた。その直後、どさりと男が倒れる。胸には見たことの無い武器が刺さっており、刀を引き抜くと血が噴き出てきた。
「な、なんだお前。引取り役じゃねえのか?!」
「引取りに来る予定の相手は、道中で全員殺しておいたよ。ちょうどサンユェンからの輸入品もある事だし、試し斬りさせてほしいなあ」
 サンユェン、噂で聞いたことがある。東の端にある島国で独自の文化が発展したとか……そこで作られた武器は、人を斬るには最も適している。だから
「ふうー、これで良し!」
 数十秒のうちに辺りには真っ赤な水溜まりが広がった。帽子を取ったミッドは返り血で真っ赤になった服を見て、場にそぐわない笑みを浮かべた。

「ドンシャオ様、ありがとうございます!」
 ミッドに手を貸してもらい、震える体をなんとか起こす。路地から先程の通りに戻ってくると、皆が一斉に駆け寄ってきた。その中には衣服を購入した店の店主や、髪を綺麗に整えてくれた店員たちもいる。いつの間にか周囲はお礼を言う人だらけで、中にはお金を手渡す人もチラホラ見られた。
「あれ、お札の縁が赤だ……」
 そのつぶやきは、ミッドを狂ったように崇める人々の声でかき消された。

 結局、カバンが膨れるほどお金を貰ったミッド。私はそんな彼が一体何者なのか、帰る道中ずっと疑問に思っていた。
「いやー、危なかったね。でも、君が助かってよかった」
 サンユェンからの輸入武器である刀を、肩に担ぐようにして持つ。その姿は故郷の男性にはない勇ましさがあった。
「あの……なんで私のことを助けてくれるんですか」
「どうした? 誰かに何か吹き込まれたか?」
「え……いや、単純に疑問に思って……」
 突然、口調が変わった。いつもの穏やかで優しい話し方のミッドの姿はいない。
「まあ、いいか。そういえば、サネムに伝えておきたいことがあったんだ。夕食後にでも話すよ」

〜夕食〜
「今日の夕飯は俺が作るよ。なにか嫌いな食材とかある?」
「特にはないです」
「じゃあ、俺の好きなように作るねー」
 そう言ってドンドン作った料理を皿に盛り付けていく。温かいライスが鍋で炊かれている隣では、取っ手付きの小さな鍋で炒め物が完成した。
「これはトマトと玉子の塩コショウ炒めだよ」
「美味しそう」
「こっちは貰った青菜を適当に茹でたもので、あっちにあるのが冷凍した魚を焼いたやつ。塩味はついているよ」
 この地方では朝食は軽く、昼と夜の食事はしっかりと取るらしい。昨日はあまりにも疲れていて作れなかったようだが、ミッドはなんでもできる人だと感心した。広いテーブルには、朝とは比べ物にならないほど、料理の乗った皿が置かれている。

 結局、ライスと野菜入りのスープ、それ以外に三種類の料理がテーブルに並んだ。
「豪勢な食事……!」
「だいたい材料は他所から頂いたものだよ。だから、ほぼお金はかかってない」
 スープに入っているフワフワの食材は、大豆を加工した「腐竹」というものらしい。まるで雲のようだ、と思うほどに軽い食感であった。
「美味しい?」
「すごく美味しいです」
「ありがとう、そう言われると嬉しいよ」
 ライスをおかわりしに行く後ろ姿を見て、沢山食べる人は背丈が大きくなるのだと考えた。本当はおかわりしたいが、もうおなかいっぱいで眠かったので、自分の食器を片付け始めた。
「あれ、もう食べないの?」
「なんだか眠いの……」
 そう言いながら体の力が抜ける。ひんやりとした床の温度が心地よく、私の記憶はそこで途絶えた。

 突然目の前に、小さい頃の私が現れた。玄関のドアを開けると、目に涙を溜めたお母さんが近づいてくる。どうやら、背後にいる成長した私の方は見えておらず、これが夢であることを認識した。

「お母さん、お父さんの具合は?!」
「おかえり。さっきお医者様が診てくれたんだけど、もう片方の肺が機能してないみたい。回復の見込みはないって」
「……そんなに悪くなってたんだ」
「心配かけてごめんね。実は今まで他所から借りてたお金も、かなりの額になってて……サネムには無償の小学校までしか通わせてあげられないの。本当にごめんなさい」
「いいよ、謝らなくて。私、算数は得意なの! お仕事の手伝いするから、お母さんは無理しないで!」

 この地域では小学校までが義務教育、中学校からは有料の決まりがある。多くの人は「立派な仕事」に就くため、中学校以降も進学する。進学できないのは、お金が無い家に生まれた私だけだった。

 肺の病気にかかったお父さんは、あっけなく亡くなってしまう。その日以降、お母さんの態度が次第に冷たくなり、私と必要最低限の会話しかしなくなった。

「寂しい」

感情を打ち消すかのように、毎日必死に働いた記憶が頭の中を埋め尽くす。
いくらお客さんと会話が弾んでも、私は一人で店番をしていた。
愛とは何か、忘れてしまったのか。

「寂しいよ……」

 夢から覚めた時、私はベッドで横になっていた。目元が濡れていたので手の甲で拭う。
「寝ながら泣いてたの……?」
「そうだよ。サネム、急に床で寝るのはビックリするから……ちゃんと眠いから部屋まで運んで、とか言ってね」
「ごめんなさい。今度はちゃんと自分の足で部屋まで歩きます」
 ミッドは結んでいた髪の毛の紐を解きながら、そういうことじゃないんだけど、と小さく呟いた。どういうことか理解出来なかったが、珍しく困った顔をしている様子から、何か私が勘違いをしているのだと思った。
「私、何か変なこと言いましたか?」
「いいや、そんなことないよ。ああ、それより伝えないとダメだね。……君のお母さんは他の地域に働きに出たって」
 信じられないことを聞いてしまった。あのジャウーダで内職をしていた、娘の自分から見ても美しいお母さんが……。出稼ぎなんかするはずがない。

「ジャウーダにいる年上の友人が情報屋で、色んな人の情報が入ってくるらしい。お母さんがどこの地域に出稼ぎに行ったか……どこ行くの?」
「決まっているでしょ! お母さんを探しに、周辺の国に行かないと!」
「どこに行ったのか分からないのに探しに行くんだ。サネムは良い子だね。本当に、愚かだ」
 階段を降りて玄関のドアを開けようとする私は、後ろから思いっきり抱きしめられた。力が強いミッドに抱き抱えられて、再び私は2階の自室に戻ってきた。
「離して! 離してよ!」
「だから……場所分からない人間を夜中に探しに行くのは無謀だよ。止めろ」
「場所が分からなくてもいい! 手がかりが欲しいの! 私のことを本当に愛してくれる家族は……お母さんしか居ないの……!」
 ミッドは理解できない、と呟いた。

「今、この家を出たら起こりうることは2つ。1つは熊なんかの動物に襲われて体を食料にされる。もう片方は……途中で力尽きて野垂れ死ぬ。どっちも選べないだろ。……というか君には選ばないで、ここにいて欲しいんだ」
 確かにミッドの言う通りかもしれない。しかし、その時急に気づいてしまった。お母さんがだんだんと冷たい態度を取るようになった訳が。
「お母さん、別れないといけないことを知ってたから、あんなに口数が減ったのかな……」
 離れる時にお母さんが見送ってくれなかった。その事が心残りだったけれど、悲しかったのはお母さんも同じなんだ。

 ようやく気持ちが落ち着いてきた。お母さんが出稼ぎに行く期間は分からないが、帰ってくるその日までミッドの家に滞在することにした。
「そういえば、君の家の借金が膨れ上がった原因なんだけど……商売で売っていたチョコレートなんだ」
「え、あの“愛”?」
「お母さんの値段交渉が下手で、通常より高い価格で仕入れていたみたいだね。極東の風習から愛って命名したのはいいけれど、普通の人だったら買わないよ。普通の人だったら」
「でも、ミッドは買っていたんじゃ……」
「あれは売れないまま家に帰って、家族に怒られる君の姿が目に浮かんでしまったからだよ。少なくとも、俺は君が売り子じゃなかったら毎回買ってない」
 ミッドは頬杖をつきながら、優しい眼差しで私のことを見ていた。

〜数ヶ月後、トーアズマのバスターミナルにて〜

「いやー、いつも助かるよ! あ、これはお礼だから」
「ありがとう! バスの運転手辞めなくて良かった!」
「お客さんの噂話覚えているのは、流石としか言いようがない。これからも頼んだ」
「お母さんが身売りしたこと、あの子には伝えてないんでしょ? いいの?」
「いいよ、それで。彼女から俺への好感度が増せばそれでいいんだ」
「有償な愛など存在しない、だね!」
「急にどうした? それ、俺の親父の遺言なんだけど……」
「最近見つかったと聞いたよ! 風の噂で! 封筒に入ったまま行方知れずだった、親父さんの遺品!」
「ああ、そんなのもあったね。俺、あの人の遺品は全部燃やしたつもりだったから、今の今まで覚えてなかったよ」

バスの運転手は髭を触りながら、窓を静かに開けた。入ってきた蚊がミッドの方へと向かうのを見て、運転手は手でたたき落とした。
「本当の愛はお金なんか払わなくてもいいんだよ」
その声は叫ぶような大きな声ではなく、穏やかで諭すようなものであった。
「そうだね。あの頃のように、彼女に会うために高いバス代とチョコレート代払わなくても良くなった。それじゃあ、戻るね」
「また会おうね!」
 大きく手を振る運転手は、自分の担当する次のバスに向かって歩く。その足取りは非常に軽やかなものであった。

〜ミッドの自宅〜

「戻ったよ、サネム。具合はどうかな? 食欲とか戻った?」
「おかえりなさい。お医者さんが言うには……」
 耳打ちするサネムの声を聞いたミッドは、顔をほころばせて優しく彼女の手を握った。
「俺が一生をかけて素敵な人生になるように保証する。だから……だから」
「ミッド、いや……ドンシャオ様泣かないでください。そんなにすぐ泣かれると、ちょっと心配です」
 その瞬間、目元を素早く拭うミッド。涙が流れた痕跡はなかった。
「確かに心配させてしまうね。悪かった」
「あ、謝らなくてもいいんですよ……!」

サネムは自分の腹を優しく撫で、幸せだけ予想できる未来に思いを馳せていた。

有償な愛など存在しない


明るく爽やかな人でありたい。
らいとそーだ

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