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はじまりのハワイ1

2017年7月、ハワイ島。それは私にとって大きな転機となる旅でした。
お話は、ハワイ旅の少し前に遡ります。その頃の私は、ベンチャー支援会社で官公庁からの受託事業のプロジェクト管理のお仕事をさせてもらっていました。うつ病から立ち直って社会へ復帰し、自分の仕事の能力に懐疑的なままいくつかの職場を経験した後、ご縁あって友人に紹介してもらい入社した会社でした。
当時は起業家を育てようという機運が高まっていた頃で、各種のお役所からの引き合いが多く急成長中だったその会社では、私がこれまでに経験してきた事柄すべてが必要とされる仕事に出会えました。お役所対応に営業トーク、帰国子女とコテコテ日本企業などの異文化メンバー混成のチーム作り、イベント運営と官公庁向けのレポート作成、会計検査に耐えうるプロジェクト経費管理など。うつと転職を繰り返していたため、まるで一貫性の無いキャリア経験を積んできた私ですが、この職場ではそのすべてが活かされることにびっくりしました。また、ユニークかつ有能な先輩や上司から「自己評価が低すぎる!もっとちゃんとした待遇を求めて行け!」と叱咤され、うつ病を患って以来の自己肯定感の低さを周囲の仲間たちが引き上げてくれた大切な場所でした。尊敬する大好きな同僚たちに見合う私でありたい。そんな思いで忙しくも充実した日々を送っていたつもりでした。しかし、そんな多忙なある日、私は同僚の一人からこう言われたのです。
「田中さん、ひょっとして限界超えてるでしょ?」
そんなことないよ、という言葉が脊髄反射的に浮かびました。それなのに、その言葉が口を突いて出てくるよりも速く、どっと涙があふれ出てきたのです。ああ、まただ!私、またやってしまっている……。それは馴染みあるうつの感覚でした。
さすがにうつ病の波も三度目ともなると慣れたもので、産業医や同僚と手早く相談をまとめて3か月間の休職をして様子を見ることにし、自宅から歩ける範囲の心療内科にお世話になりながら2か月間はおとなしく過ごしていました。心療内科の先生の「体力をつけること」というアドバイスに勇気をもらって、フラダンスを習い始めたりもしました。そして3か月目が近づく頃、友人たち数名が企画したハワイ島のリトリートの募集告知を見かけたのです。フラも始めたことだし、せっかくだから実際のハワイの景色を見てみよう。元気をフル充電してから大好きな同僚たちのところへ帰ろう!そんな気持ちでうつ後の緊張感を持ちながらもハワイ島へと飛んだのです。

久しぶりの海外旅行にドキドキしながら、オアフ島で飛行機を乗り継いでたどり着いたハワイ島は、顔なじみの友人もあり、初めましての人もあり。うつからの回復傾向にあった私にとっては、ひとりで飛行機にも乗れたし、久しぶりに友人たちに会えたうれしさもあって、ちょっとした達成感と共に、旅がスタートしたのでした。そのリトリート初日、浮かれ気分な私の心を、主催者のある言葉が撃ち抜いたのです。
「今回のテーマは死と再生です」
は?テーマ??そんなのあったんだ……。フラで表現されているハワイの自然を実際に見たいとしか思っていなかった私は、ポカンとした気持ちで続きを聞きました。
「ハワイ島は火山の島、古いものを破壊し新しいものを産み出すエネルギーです。つまり、ここには自分だけでは終わらせることのできないものを、火山のエネルギーを借りて終わらせる必要のある人たちが集まったわけです。それぞれ何を終わらせに来たのか、胸に手を当てて考えてみましょう」
 私は考えました。胸に手を当てたり、身体全体の細胞に問いを投げかけたり、いろいろな方法で。なぜなら、何度自分に問うてみても、私の望まない答えが浮かんできてしまったからです。私は何を終わらせに来たのだろう?その答えは、控えめに言えば今の仕事。より大きく言えば、他人の期待に応えるという今の生き方。何度考えても、そんな答えが自分自身の中から返ってきてしまうのでした。「そんなはずはない!」と旅の最初は思っていました。私はあの人たちのところに帰るんだ。そのためにハワイへ元気をもらいに来たはずでしょう?今の仕事を終えるために来ただなんて、そんなはずないよ……。しかし、ハワイ島の美しい自然景観の数々を見て回るうちに、そんな私の葛藤はだんだんと鎮まり落ち着いていったのです。

例えば、レインボーフォールという滝へ行った時のこと。そこは瑞々しい緑と水の気配に満ちた美しい場所でした。道中とは打って変わって、急に元気になってしまった私は、わけもなく気分がうきうきして、岩をひょいひょいと登って滝の上へたどり着きました。高い場所に立って、白くなって落ちていく水をひたすらに眺めているとなんとも心地よく、高揚感と共にリラックスしていく自分も感じました。泊まっていた場所からほど近くでは、溶岩らしき黒い丸い岩の上で、早朝に天然岩盤浴をしてみました。粘性の高いマグマでできた岩は、ごつごつの少ない滑らかな表面で、その上に寝っ転がると背中にほの温かさが伝わってきました。自然の岩に優しくあたためてもらっていると、太陽と地面の双方から親切にされていることがじんわりと身に沁みてきて、何も考えず空を眺めては、ただひたすらに程よい熱を受け取りました。溶岩洞窟のそばの森では、南国らしい緑の熱気と、不思議な懐かしさを感じました。ぐにゃりと曲がった低い幹の上に座らせてもらって、木に身を寄せて目を閉じていると、なんだか自分が妖精になって木の幹の中の不思議の国へ招き入れてもらったような気分でした。かくれんぼでもしているような夢見心地の気持ちよさの中、友人が見つけてくれるまでうたた寝してしまっていた私は、いつの間にか、これまでとは違う観点から人の世を眺めるようになっていたのです。

この初めてのハワイ島の旅では、まだ知識的なインプットはしていませんでした。のちにハワイ語の祈りのうたを習った時、フラのお師匠さんから教わったことが、まさしくこの時の私に起こっていたのだと思います。それは、ハワイ島の火山の女神、ペレにまつわるお話でした。ペレという女神は、火山の象徴だけあって、神話のエピソードとしては恐ろしい逸話が多いのです。しかし、フラのお師匠さんはこう話してくれました。
「キラウエア火山が噴火するのはペレの愛情の顕れ。彼女は、人間も含めてあらゆる生命が本来の姿であることを強く望んでいる。だから、そうじゃない時には愛情をマグマに変えて、本来の道へと正そうとするんだ」
それを聞いた私は、なんだかお風呂みたいだな、と思いました。ほんの少し前まで自分の一部だった皮膚でも、垢となった後もずーっとくっつけていれば健康を損なうこともある。そういうものを自然と洗い流したり、火山のエネルギーで吹っ飛ばしたりするペレのような存在が居る。私の旅は、そういう存在に助けられて成っていたように思うのです。そして、今住んでいる熊野も、このハワイも、そうした存在に導かれた旅をいくつもいくつも経て、その時その時の自分らしさを取り戻して、今の私に至っているのです。

ハワイ島でのリトリート最後の日、自然と力みの抜けた私は、寂しさと共に理解しました。あの大好きな同僚たちと同じ船に乗る旅は、ここでもう終わりなんだ。私は私の道を探しに行かなくては。それをしないままで、挑戦する人と共に未来を拓くあの人たちの前で、胸を張って立っていられると思う?私が私らしい道を拓いていけば、離れていてもきっと何かの形であの人たちの応援の力にもなるはずだ。そんな風に自分を鼓舞して、退職を決意し、ハワイ島を後にしたのでした。

はじまりのハワイ2 に続く


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