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多様性と寛容

なるほど、多様な社会に寛容は欠かせない。
でも、不寛容な人に対して不寛容な私。
そんな自分への不寛容が止まらない・・・😱
ひょっとしたら、悟りというのは完全なる寛容のことなのかしらん?
はぁぁぁぁぁ、悟りの道へのほど遠さよ。

別に特別なことがあった訳じゃない。
やたら拘りのあるおじ様と2時間ほど会話しただけ。
このnoteもそうだけど、「いろーんな気づきをありがとうよ」とは思うものの、正直疲れた。
アンチ電子レンジでも、アンチワクチンでも、アンチ政府でも、なんでもいいが、もはや、やりたいことは”アンチ〇〇”であって、テーマは何でもいいのかな、と思ってしまう。
どうして人はアンチモードになると、対極にいるはずの相手と同じ土俵・同じ世界に堕ちるのかしらね。
大っ嫌いなはずの相手と、言動の構造がまったく同じだったりする。
(それを指摘すると、大抵おこられるけど・・・)

悟りは遠い娑婆の遊びでも、せめてそこは越えていきたい。
気に入らないモノゴトへの悪口で自己表現するんじゃなく、自分の”好き!”のど真ん中を表現できる自分でいたい。
コレジャナイ感をひたすら集めて終わる人生なんて、やだな。
アンチのパワーを使う時は「違う、コレジャナイ・・・そうじゃなくて、こっち!」みたいな、ひらめきに変えられるようになりたい。

あー、ダメだ。
やっぱり、アンチ・アンチ派になってるだけなんじゃない?
不寛容な自分へのダメ出しはとめどない。
こういう時は、何を聴けばいいんだっけ?
THE BLUE HEARTS か? あのくらいのストレートさがほしいな。
「あれもしたい これもしたい
 借り物の時間の中で、本物の夢を見るんだ」
アンパンマンのマーチもいいな。あのピュアな言葉がいい。
「なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ
 わからないままおわる そんなのはいやだ」

そして、ひらめいた。
Love Thy Neighbor・・・ミュージカル「PROM」の劇中歌。
あれも、寛容の物語じゃなかったっけ?

PROMは大好きなミュージカルだ。
主人公が巻き込まれてしまう、超クセつよなキャラクターたち。
見るからに面倒くさそうな、できれば近寄りたくない意識高いこじらせ系。
でも、そのクセつよキャラが、強い個性を残しながらも他の役者さんたちとのユニゾンで「Love Thy Neighbor trumps them all(汝の隣人を愛せよっていう大原則以上に、大切なルールなんて無いんだ)」と謳い上げるところにこの歌の説得力がある。
細々と分かり合えないところがあっても、友だちにはなれる。一緒に居られるし、はげまし合える。

そうか、不寛容な人間が寛容であろうとするところに、こういう曲が生まれたりするんだな。
こういう曲が生まれるためなら、人の不寛容さも許せる気がする。
不寛容さが無い世界では、きっとこういう曲にならない。
なら、いいかな。不寛容さも、無いより有った方がいいかな。

うん、私たちの遊び場は悪くない。
これが娑婆の修行か。悪くないな。

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