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『テート美術館展 光 ― ターナー、印象派から現代へ』を見に行った話。

 国立新美術館で開催されている『テート美術館展 光 ― ターナー、印象派から現代へ』を見に行きました。

 最近、美術館に行っていないなと思い立って行くことにした。ターナーは以前、上野のナショナルギャリー展や三菱一号館美術館のコンスタブル展で見た作品が印象に残っている。

 この展覧会は前半に絵画、後半に立体物が展示されていた。
 正直なところをあまり立体物には苦手意識があるというか、良さを知らないというか、つまりサッと眺めて終わってしまった。


 展覧会自体はすごく洗練されていて、満足できた思う。
 欲を言えば、立体物に対する僕の理解が低すぎて、消化不良のように感じてしまったことくらい。

 僕は12時過ぎに入っても展示室内は少し混み合っている印象であったが、最後のショップを出たら入場に長い待機列が出来ていた。我ながら良いタイミングで来たと思う。

 ところで今回の展覧会は多くの作品で写真撮影が許可されていた。(もちろん撮影不可の展示物もあったがそれでも9割くらいは撮影できた)

 そういうこともあって、周りで撮影をしている人が気になったりもした。特に邪魔と思っているわけではないが、やはりシャッターの音が気になったりはする。あとはひとつの作品に集まりすぎてキャプションが読み辛かったり、通路が塞がってたり。

 僕個人としては、「撮影をするのを辞めた」という立ち位置だ。ここ数年の間に美術館へ行くようになったのだが、ひとつの展覧会で撮影可能な展示物はだいたいひとつやふたつがあったりすると感じていた。
 僕も「まあ、なんかの記念に」と思ってシャッターを切ったことがある。しかし、振り返ってみれば好きな展覧会は図録を買い、運良くポストカードがあれば買うので作品自体を見返す手段はある。

 ある時思ったのだ。そういえば、写真って見返さないな。なんとなく写真に撮って、SNSにアップして満足するだけになってはいないか、と。それならば、“その場で実物をもっとじっくり見て味わった方が正しい気がする”。

 それから、撮影可能な絵画も撮影するのをやめた。強いていうなら、僕はスマホを不意に取り出してしまって、野球の試合結果を見てしまうのは辞めた方がいい。改善の余地有りだ。

 もちろん、この考えを誰かに強制したいわけではない。人にはそれぞれ楽しみ方があると思うし、写真に撮ったあの人は帰りに図録も買い、帰宅後に見比べて復習をしているかもしれない。

 今回、絵画と立体物の割合が比較的半々くらいにボリュームで尚且つ写真撮影可能な展示物を見て思ったことがある。
 立体物なら写真撮影する気持ちもわかる気がする、ということだ。その時に見て“良いな”って思った角度であったり、今回は光を用いたりアートもあったりしたので影の動きなどはその瞬間を捉えたいという意味では理に適っていると思う。

 まぁ、でも展示物と一緒に写真撮影は非常識すぎるよなあ、とは思う。

ポストカード

 結構、好きだったピサロの絵がポストカード化されてなくてちょっと悲しかった。美術館巡りあるあるだと思う。

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