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ねこねこネットワーク

前にも書いたがうちの猫は保護猫だ。仕事帰りに駐輪場に自転車を止めていたらたまたま目があって、向こうからトコトコ寄ってきたのが縁だ。どんくさくへろへろなこいつがよくもまぁ怪我も病気もなく外にいたものだと、未だに不思議に思う。そんな時思い出すのはもっと前に路上で出会った白い猫だ。夜道で出会ったそいつは既に死にかけていた。

「車にはねられたんです」先に猫を囲んでいた中学生がどうしたらいいのかわからないと言った雰囲気で教えてくれた。白い猫だ。首輪はしていない。目立った外傷は無いが血を流している。まだ息をしていたが次第に弱っていっていることは見て取れた。どうにかしたいと思ったが、僕も妻も当時は夜間診療をやってる動物病院の心当たりなどなく、その場でスマッホンを使いググるしかなかった。さらに通りかかった知らないおばさんがこういうのだ。「助けるなら責任持ちなさいよ?」と。今だったら「うるせぇ!アンタも病院調べろ!」とでも言えそうだが、その言葉が枷となり、検索する指を鈍らせた。なんとか夜間診療の病院を見つけたが、そこは最寄駅から片手の指ぐらい駅を経由した先だった。運んでも無駄かもしれないが、放っておくわけにもいかない。どうにかタクシーを捕まえて僕と妻と名も知らぬ白い猫は病院へ向かった。

遭遇した時は少し動いていた猫も、妻の腕の中でだんだん動かなくなっていった。心臓マッサージをしながら猫を励ます妻の声も涙混じりになる。ようやく病院に着いて医師に猫を託したが、治療ではなく死亡確認がされただけであった。虚無感と罪悪感に支配されたが、病院の先生は「ここまでこの子を連れてきてくれてありがとう。きちんと弔っておきます。もしまた同じことがあっても、連れてきてあげてください」と言ってくれたのが救いだった。そうだな。誰にも知られず朽ちていくのは寂しいものな。

あの猫が死にゆく中で何を感じていたかは判らない。ただ、あの猫が召された後、自分のリザルトを振り返った時、僕ら夫婦に関しては「死にかけの猫を見ても逃げないやつ」程度には認識してくれたのではないかなと思う。だからうちの猫がなんらかの理由で放浪していた時、「あそこの家には猫好きが住んでるぜ。ウロウロしてれば少なくとも野垂れ死にはしないんじゃねぇか?知らんけど」みたいな超自然の啓示を与えてくれたんじゃ無いだろうか。もしくはその光景を遠くで見ていた野良猫ねこねこネットワークにより「オイ新入り、オメーはストリートでは生きていけねぇ。あの家のあたりでウロウロする以外はゆるさねぇ。さっさと行きやがれ」みたいな指導が入ったのかもしれない。とにかくそうでも考えなければうちのボンヤリ毛塊がメキシコのような路上で生きていけるとは思えないのだ。

わかってる。ただの妄想だってことは。自分のやったことが無駄ではなかったと思いたいだけだってことは。こうしてる間にも野良猫が朽ち果ててる事も。でも、まぁそういう事にしといてくれ。そして今は保護用のケージもあるし、もっと近い夜間病棟も控えてある。願わくば同じ状況には出くわしたくない。けど、もしまたそんなことがあったらもっと迅速に対応しようと思っている。以上です。

#日記 #猫 #ねこ

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