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義経隧道(張碓第五トンネル)について
手宮線開通によって、その役割を何度か変えた古い古いトンネルの話。
みなさん、JR函館本線に乗っていて、札幌から銭函を過ぎたあたりでふと気付いたことはありませんか?海と反対側、山が迫る険しい崖にぽっかりと古いトンネルが口を開けているのを。
そう、それが今回の主役、「義経隧道」です。正確には、「張碓第五トンネル」、明治12年12月にできたトンネルです。
トンネルから見た函館本線。本当にすぐ近くにありますね。この張碓第五トンネル、実は手宮線敷設により人生(トンネル生?)を翻弄されたのです。
これは、徒歩道だった頃の張碓第5トンネル。まだ道がボコボコしていますね。
その後、ご覧の通り馬車道として整備されました。さっきよりだいぶ歩きやすくなったようですね。馬車が通れるだけの幅も確保されています。
そして、この道はなんと鉄道になってしまいます。それというのも、この辺りは神居古潭と呼ばれ、昔から交通の難所として知られていました。明治10年ごろからこの辺りの調査をしていたお雇い外国人ジョセフ・U・クロフォードは、この馬車道に線路を引いてしまうことを提案したのです。こうして、幌内の石炭を小樽の港へ運ぶ、幌内鉄道が開通しました。
ちなみに、北海道で最初に掘られた鉄道トンネルは「若竹第三トンネル」だといわれていますが、このトンネルはその前からあったので、北海道最古の鉄道トンネル(鉄道のために掘られたものではないですが)ともいえます。
当時は鉄道自体が珍しく、知らずに横断する人々との接触事故が絶えなかったとか。ついこの間まで道だったところに汽車が走って来れば、誰だって驚くでしょうね。
2001年撮影の張碓第5トンネル。壁面に空いている穴は、何かの跡なのでしょうか。土が溜まっていったとはいえ、こんな低いところを蒸気機関車が走っていたとは驚きです。結局、のちに海側に経路が取られたことにより、この線路は30年ほどで使われなくなってしまいました。
この頃の遺構として、張碓川鉄橋があります。この二つは、昭和30年に小樽市の歴史的建造物として指定されますが、現在は事故対策のため立ち入り禁止となっています。幌内線の一番列車として最初に走った「義経号」にあやかって、「義経隧道」と呼ばれています。
静かに佇む「張碓第五トンネル」。こうした歴史を持つ場所が、今も残っているというのはすごいことですね。皆さんも、小樽ー札幌間をJRで通るときは、ちょっと注意して見てみてください。
・photo by 久保ヒデキ(日本広告写真家協会会員HP:http://www.digipad.jp/)
・写真資料:北海道大学附属図書館 北方資料データベースより転載
・参考資料:北海道旧道保存会 裏サンドウ喫茶室(旧道フォトグラフス)
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