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自分自身が『良い気分』でいることの大切さ◎

昨日はとてつもなく内容のない、無責任な投稿をすみませんでした。

おかげさまで、ぐっすり寝てスッキリさっぱり目覚めることができました!(お察しの通り、朝活は寝過ごしましたw)

今日のタイトルにもあるように、自分自身が良い気分=ご機嫌でいることがどれほど大切かという話です。

今、あなたは良い気分ですか?

どんな時に良い気分になって、その時の自分はどんな状態ですか?

私は良い気分の瞬間は、心穏やかに相手を思いやる心の余裕がある瞬間であったり、美味しいものを食べている時、家族や中のよい友人と過ごしている瞬間、誰かに評価されることや、自分自身の目標を達成した時などいろいろあります。

人間はいつも万全ではなく、特に自分ではどうにもできない環境の変化によって気分が下がる時ってありませんか?例えば天気が悪いとか、体調が悪いとか、子供の機嫌が悪いとか、上司の機嫌が悪いとか。

こう考えてみると、自分自身でどうにもできないなにかって世の中には溢れていて、そして理不尽なことも沢山ありますよね。悲しいですが。

でも、ここで少し立ち止まって、そのどーにも出来ない事実に腹を立てたり気分が下がったりすること、その時間もったいなくないですか?
どうせ同じ1日、1時間、1分1秒を生きるのであれば、少しでも楽に楽しく、行きたいな〜って思っちゃうんです。(持論ですが・・・)

昨日祖母と大げんかした理由は、祖父介護についてです。

祖父は5年前くらいから認知症の症状が出始め、今現在要介護3の状態です。

週6日デーサービス(うち2日間は宿泊)を利用し、朝9時〜17時は家にいません。介護は祖母と父、妹がサポートし、私と母が食事を作る担当としてみんなで役割分担をしています。

おそらく周りから客観的に見ると、とても恵まれた環境なのですが、(長くなるのでここは割愛しますが・・・)祖母は施設に入れる、私は顔が痛く(三叉神経痛)体が痒い(原因は不明、祖父は介護のストレスと思っています)、3月に尻餅をついて尾てい骨を圧迫骨折、そんなことが続いたのでもう施設に入れろと丸投げ状態です。

もちろん、祖母の体調を考慮すると私たちのサポートは必須ですが、ほぼ父が現状では介護をしています。仕事を朝時間をずらし出勤し、その分遅くに帰宅し、寝る準備も手伝っています。

父の考えとしては、祖父はまだ自力でできることも多いし、家族がいる空間でできるだけ長く過ごしてほしい、これは祖母以外の家族は同じ気持ちでいます。

祖母の祖父に対する暴言がひどく、自身の病気に関しても痛い痒いを連呼し、祖父の愚痴を一生吐き続けています。もちろん痛み、かゆみなどの症状は人格を変えてしまうこともあると理解しているため、病院を探し勧めても病気とも向き合う気がありません。

そんなこんなでどうどう巡り、自分の感情を垂れ流し、暴言を吐き続ける(自覚なしに)のはいくら家族でも我慢ならないと、思い切って意見を伝えました。その結果喧嘩になるという・・・


そこからの学びとして、やはりいくら年齢を重ねても、物事の光を見る(見つける)人と、影を見る(探す)人が存在して、自分自身はどう生きたいかを考えることは大切だということです。

当事者のときには、本当に視野が狭くなって、祖母も私の話なんて本当にまるで聞いていませんでしたが、どうでもよかったら言うこともないんですがね。

家族だからといって、全てを理解できるわけではないし、理解しないといけないわけでもない。今の人生は、自分が選択してきた結果なのだと改めて感じました。

祖母は今まで幸せなことなど、一つもなかったと言います。(意地はって言っているのだと思いますが・・・)

二人の息子を育て、3人の孫、ひ孫が3人近くにみんないてくれる環境。

自分自身が生まれ育った家でそのまま暮らし、衣食住に困ることもない環境。

幸せではないそうです。悲しいですが。

意地を張り、自分のプライドを捨てない生き方も一つではありますが、私自身はどう生きたいか。

その結果が、自分自身の機嫌くらい自分でとること、そして気分良くご機嫌に生きることが、結果周りに良い影響を与えるんじゃないかなって腑に落ちました◎

おばあちゃん、ぶつかることは悪いことではないと思うけど、もう少し穏やかに素直に、生きたら楽だろうにな・・・。


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