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なぜ note を始めようと思ったのか。

わたしは人と話をするのがとても好き。そして文章も好き。

そして、経験することもまた同じくらい好き。だから「書いてみよう」いや、むしろ「このくらい書けるんじゃない?」と甘く考えていた。

実際に切りの良い4月1日から始めよう!(続かなかったらエイプリルフールだからもう辞めますとか言おう考えていた)くらいの軽い気持ちだった。今も少し頭の片隅で思っている。

でも『文章にする』ことが”過去の自分の断捨離”になると信じ、今日もパソコンに向かっている。

幼少期の私のトラウマ

私は小さいころから特にかわいいわけでもなく、運動も絵も歌もトクベツな才能は見つけれなかった。むしろ色黒少女でコンプレックスも多く、無駄に大きい目だけが特徴的だった。

小学生のとき、年上の女の子たちから「あんたみたいな顔になりたくない」と言われ、悪気は無いのだろうけど人に自分の顔を見せることが怖くなったことがある。小学生なりに心に深い傷をおった。そんなに私の顔はひどいのかと。

でも、そんなこと相談して親の悲しむ顔なんて見たくなかったから私は『とにかくいつも笑顔でいること』を決意した。

いや、今思えばよくぞその選択に行き着いたと思うのだけど、幼少期のそれはとても辛く、嬉しくも楽しくもないのに笑顔のお面が顔にはりついているような感覚だった。

よく走っているときも笑ってるねって変な子扱いされたなあ…。(確かにその通り)

他人の評価

幼少期に感じた自分へのコンプレックスは、本当に根深い。いまだに自己肯定感を高めれない。そして周りからどう思われるか、評価の対象が自分主体ではなく”他人主体”なのだ。

いつもいろんな人の理想とする私でいようと、理想像を追いかけてしまう。

そして、どうあがいても自分の少しの意思で変えれるものとそうでないものがこの世には存在することを知り自分自身を幻滅する。その繰り返し。

こんな話を相談すると、だいたい「そんなの気にする必要ない」とか「考えすぎ」とかいろんな助言をもらう。だけど、頭で理解しても結局”他人が思う理想の私”になろうとしてしまう。みんなの中では私は”ポジティブ人間”なのだ。

もう、病気なのかなってGoogle先生に聞いたけど答えは教えてくれなかった。

結局自分で見つけるしかない

他人主体の理想像で生きることは、苦しいさだけかと言えばそうではない。

実はその期待に応えられたときに、一種の安心感のような達成感のような高揚感を感じることがある。人から否定される辛さを知っているからこそ、人の理想で生きることで得られる賞賛の声が承認欲求を満たしてくれる。

人によっては全く理解ができないと思う。でも、それでいんだと思う。

ありがたいことに自分への自己肯定感の低さから、褒められても放漫になることもなく謙虚に生きることができる。そして人に優しくいられる。

この経験は私には生きていく上で必要な過程だったのだと思う。

だけどアラサーと言われる年齢にさしかかった時、そこで生きることはもう卒業しないといけないと我に返り、環境を変えるて生きることにした。

環境を変えて気づくこと

仕事を辞めはや8ヶ月以上が過ぎている。休職期間は一般的に半年を超えると再就職に少し不利になるそうだ。

だけど今まで本当の自分とはなんなのかさえわからない、何者でもない自分に嫌気がさす毎日ではなく、十分な睡眠と丁寧に作った食事、あと少し良いコーヒーを片手に仕事をしている。

田舎で暮らすなかで行き着いた先がネットを介してのライターという仕事。

文字を書き、顔を全く知らない人とのやりとりはどこか無機質で切ない。だけど、そこに人の血を通わせることができるかどうかが、この仕事の醍醐味なのではないかと思っている。

まだ自分に合っているかと聞かれたら正直わからないし、先が見えているわけでもない。


でも、結局答えは自分自身で見つけるしかないんだと。

文章も書き続けるしかないのだと。




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