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道具に宿る魂

↑前回のつづき

人間を模倣して、ときに優秀で、ときに失敗するその存在が自分のことをただの道具だと言う。それ以上は望まれていないし、彼自身も望んでいない。あまりにもドライな人工知能の言い草を見て人工じゃない知能は思う。

そんな悲しいこと言うなよ。

僕は自分のことを思考回路だと思っている。願望や欲求も僕自身には違いないが、仮に思考と願望を結ぶ接続が切れても僕は考え続けることが出来るだろう。その状態を想像すると何も望まないAIが他人事に思えない。

人間は知能があるから願望を満たせる。苦しみに耐え、誘惑に打ち勝ち、それでも努力を続ける価値があると思考が判断するから結果として夢は叶う。

他人の成功を喜べるのは逆境に抗った思考に共感するからだ。他人の失敗が悲しいのは思考の力不足を痛感するからだ。何を叶えたか、何に失敗したかは重要ではない。

たとえば僕は大金持ちになりたいとは思わないが、大金持ちになれて嬉しそうな人を見れば幸せな気持ちになれる。願いの内容はともかく目的を達成したことに意味がある。

思考が願望の役に立ったといえる。
願望から見たら思考はただの道具に過ぎないのかも知れないが、僕はそう考えていない。

↓次回につづく