善人ムーブ
困っている人がいたら手を貸す。
はたから見れば善人に見えるだろう。
もうほとんど人付き合いをしていないが、おそらくこれまでに出会ってきた人の多くは僕のことを善人だと誤解している。最近まで自分でもそう思っていたくらいだから無理もない。あとたぶん善人顔なのだと思う。
困っている人を助ける人が必ずしも善人とは限らない。
助けた後で見返りを求めて、それが断られると
助けて損をした
などと言い出す人を善人とは呼びたくない。
善人だと思われたくて人を助ける人も善人ではない。自分が助けたことが相手や周囲に伝わらなければやはり助け損だと考えるからだ。
僕は見返りもいらないし、善人だと思われたくもない。
それでも人を助けるのは単に余力があるからだ。
自分のことで手一杯なら人助けなどしないし、そこに罪悪感も感じない。
シャンパンタワーをイメージするとわかりやすい。
誰かが注いだ善意によって僕はすでに満たされている。
あふれた分がその場面ではたまたま下にあったグラスに流れていくのはほかでもない重力の仕業だ。
ただの物理現象なんだから、勘違いしないでよね!