人の道より正しい道
↑前回のつづき。善悪を考えるシリーズ第6回。
大切なのは自分がどこへ行きたいかだ。善人でありたいと願うのはとりあえず東に進んでおけば間違いないというレベルの大雑把な指針であり、関西から東京を目指すときはいいが、家からコンビニに向かうには粗すぎる。
子供は親に手を引かれ、やがて成長して自分の判断で歩き出す。右も左もわからないうちは大勢の流れに身を任せるのもいい。それは安心で楽な生き方でもある。自分で判断しなければ失敗の責任を負わなくて済む。
しかし、楽をするために生まれてきたのではないはずだ。楽に目的を達成できるならこの上ないことだが、楽だからと目的をないがしろにするのは本末転倒を通り越して、もう何がしたいのかわからない。
だから僕は善か悪かで道を選ばない。自分の中の善悪にも社会的な善悪にも縛られず、本当に行きたい場所にたどり着くための正しい道のりを絶えず探し続けたい。
たとえそれが人道に背く可能性があっても。
正しい道のりとは目的地に通じる正解ルートのことである。人として正しい道とは限らない。
他人が悲しむ姿を見たくないという一見すると善人の平和的な願望も、別の誰かを悲しませないと達成できないケースがあり得る。
シリーズ最終回「トロッコ問題」につづく