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トロッコ問題

↑前回のつづき。善悪を考えるシリーズ第7回。

まずはそういう状況にならないことを願うが、仮定でも自分がどんな選択をするのかは心しておきたい。トロッコ問題は人を殺すというおそらく誰がどう見ても悪い行為を他の命を救うためなら許せるかを問うている。

5人を見殺しにするか。1人を殺して5人を救うか。どちらが「善」であるかを考えるのは時間の無駄だと思う。善悪の観点では永遠に答えを出せない。

だから善人の何割かは呆然としたまま見殺しにして一生を後悔とともに過ごすのだろう。残りの何割かは葛藤の末に5人を救って、やはり生涯悔やみ続けるのだと思われる。

そうやって割り切れないのが人間の善性としては正しいのだ。

しかし、僕は善悪で動いていない。さらに非人間的だと自覚したうえで白状すると、知らない人が5人死ぬのも1人死ぬのも一緒だと思っている。だから割り切れる。どちらも選べるし、どちらを選んでも後悔はしない。

たぶん人の心が部分的に欠落している。まあ、ないものは仕方がない。

僕は他人の悲しむ姿を見たくないというエゴのためにフラットで非情な選択ができる。そのおかげで5人死んでも1人死んでも、6人死んでも2人死んでも最後まで後悔せずに生きられるのである。


今回の善悪を考えるシリーズ全7回の始まりはこちら↓