債務者向けのネット広告をあちこちで見かける。現実にカードの返済で困っている人はそれなりにいるのだろう。それがごく身近なところにいたという事実は少なからずショックだった。
ともに似たような環境で育ってきたのだから僕と同じくらいには平穏な幸せを弟たちも享受しているのだと思っていた。いや、平穏だけが幸せではないし、彼らには彼らなりの幸せがあるのかもしれない。そうであって欲しい。
もう遊んであげないよ。
幼少期に僕が弟たちによく使っていた言葉だ。そう言って日常的に彼らを従わせようとした。自分が年長者であること。弟たちが自分を慕ってくれていること。それが一種の依存状態であることを認識していなければこの言葉は出ない。暴君である。
仲の良い兄弟だったと僕は思っている。大きな喧嘩もなく、長い時間を一緒にたくさん笑って過ごした。が、衝突が起きなかったのは起こしても無駄だと彼らが諦めていたせいではないか。暴君に砕かれた自立心が再生しないまま今に至っている可能性がある。
彼らの現状が不幸であるとか、原因の一端が僕にあるだとか、何かしてあげられることがあるのではないか、などと思うこと自体が傲慢なのはわかっている。それでも考えずにはいられないのだ。
僕がいなかったら彼らにも違う未来があったはずだ、と。