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デッドコピーと生命の雫

↑前回のつづき

作家だろうと芸術家だろうと外部から何らかの影響を受けて作品を世に生み出す。記憶を完全に消去する方法でもないかぎり、望む望まないにかかわらず経験が自分の作品に滲み出るのを防ぐ手立てはない。

AIに奪われない仕事としてよくクリエイティブな分野が挙げられる。人間には創造性があり、機械はそれを真似できない。だから安泰である、と。

そこは本当に機械が侵入できない聖域なのか。

創作は模倣から始まる。原始時代ならともかく、これだけ人間があふれている世の中では他人の価値観に一度も心を動かされないで生きることは難しい。スキだから真似をする。誰もがそうやって創作の一歩を踏み出す。

幸か不幸か完全にはコピーできない。技術が足りないとか、目が曇っていて正確に見えていないとか、まったく同じではつまらないとか、自分の求めるものとは少し違うことに気付いたりとか。

完コピできないなら模倣としては失敗だが、それは同時に独自性の芽生えでもある。綻びは自分や他の誰かに見い出されて、みがかれることでオリジナリティとして確立していく。

指が6本ある絵を誤りだと指摘するのは簡単だ。
しかし、それを描いたのがAIではなく小さな子どもだったとしたら?

↓次回につづく