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↑前回のつづき

いつから走り始めたのだろう。号砲の合図も誰かの掛け声も聞いた覚えがない。気づいたときには足が動いていて、どこかを目指さなければならないのだと勝手に思い込んだ。

人並みに幸福を願っているつもりだが、渇望と呼べるほど強い願望ではない。走るからにはゴールが必要で、一番無難な選択肢がソレだったというだけのことだ。

当然、幸福を目指さない生き方もある。僕にはその道を選択する自由がある。

プリンが食べられなくてもべつに構わないのだ。手が震えるなどの禁断症状が出るわけではない。とにかく痛いのと苦しいのだけ回避できれば人生はそれでいいと思っている。

となると道は無数に存在する。その中から自由に選べる。言い換えるとこれといった希望もないのにどれか一つに決める必要がある。木の棒が倒れた方向に進んでもいいが、それは思考放棄であり自己否定に相当する。

考える力を持って生まれてきた以上、考えることは知能の存在意義だ。そして考えるためには解決すべき課題が不可欠である。最初にそれを与えられて走り始めたはずだが、なぜか覚えていない。

仕方がないので幸福を暫定ゴールに設定しながら今でも本当のゴールを探している。

↓次回につづく