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古典文学に見る季語の源流 第六回「蛍」

三度目の緊急事態宣言下で、本稿を書いている。六月には「蛍狩」ができると信じながら、「蛍」を取り上げる。

二〇二一年は、六月五日からが二十四節気の「芒種(ぼうしゅ)」であるが、その中でも六月十一日からは七十二候の「腐草為蛍 (くされたるくさほたるとなる)」である。中国古典『礼記(らいき)』に見える、枯れて腐った草が蛍になるという理解から来た語である。季語では「腐草蛍となる」と読む。

ことわざには「蛍二十日に蝉三日」がある。盛りの短いもののたとえである。蛍の寿命の短さ、また、徐々に力を失っていく光には、儚い印象がつきまとう。

日本文学でも、蛍は、その姿自体でなく、儚い特性から登場する。『万葉集』では唯一、巻十三の長歌、防人(さきもり)に取られた夫を亡くし、悲しみに暮れる妻の歌にある。

もみぢ葉の過ぎて去にきと蛍なすほのかに聞きて

秋の葉が散るように命を散らしたのだと、蛍がほのかに光るようにかすかに聞いて――。蛍は比喩的な枕詞(まくらことば)である。

それ以降も、和歌では、蛍そのもののを描写するというより、比喩で登場する。『古今和歌集』では恋の巻に二首。

明け立てば蝉の折り延(は)へ鳴(泣)き暮し夜は蛍の燃えこそわたれ(読人しらず)
夕されば蛍よりけに燃ゆれども光見ねばや人のつれなき(紀友則)

どちらの歌も、蛍の光の燃えるさまに、恋焦がれる身を重ねているのである。

かの有名な恋の歌人・和泉式部にも、

物思へば沢の蛍も我が身より憧(あくが)れ出づる魂(たま)かとぞ見る(後拾遺集)

がある。「憧る」は思い焦がれるあまり、魂が体から彷徨い出るさま。貴船(きぶね)神社で詠んだこの一首は、醜聞も多い彼女の心の奥底にある、澄んだ恋心を感じさせる。

『源氏物語』でも、蛍は恋のモチーフであった。玉鬘(たまかずら)に惹かれる貴公子たちが登場する第二十五帖、その名も「蛍」の巻。光源氏がその一人を呼び出し、大量の蛍を放って玉鬘の顔を見させたのである。

近現代に飛んで、正木ゆう子氏に〈蛍火や手首細しと掴まれし〉という句があるが、これは、古典文学のロマンティックな蛍のイメージに連なる句といえよう。

なお、蛍そのものを描いた嚆矢(こうし)は、清少納言の随筆『枕草子』である。あの「春は曙」に続くのが、

夏は夜。月の頃はさらなり。闇もなほ、蛍の多く飛び違ひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。

という描写であった。

ところで、蛍といえば、「蛍雪(けいせつ)の功」という故事成語がある。「蛍の光、窓の雪」と歌った方も多いのではなかろうか。

この「蛍の光」は、中国古典『晋書(しんじょ)』に由来する。車胤(しゃいん)という勤勉な人間が、油が買えない貧しさの中、袋に入れた蛍の明かりで夜通し勉強したという話である。この話は、『蒙求(もうぎゅう)』という中国の初学者向けの教科書にも載り、それが平安時代以降、日本でも広く学ばれたため、今なお人口に膾炙しているのである。

その普及より前にも、天平四年(七三二)の遣唐大使を務めた多治比広成(たじひのひろ)成(なり)が、

少(わか)くして蛍雪の志無く(中略)
終(つひ)に不才の風を恧(は)づ

と詠んだのが、奈良時代の漢詩集『懐風藻』に収められている。

落ち着かない情勢が続いているが、こういうときだからこそ、地道に蛍雪の功を積みたいものである。

*本コラムは、俳句結社「松の花」の結社誌に連載しているものです。

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