古典文学に見る季語の源流 第四回「朧月」「朧月夜」
春爛漫の四月号(注:本コラムは結社誌四月号に掲載)である。今回は「朧月(おぼろづき)」を見てみよう。
現存最古の歌集、『万葉集』にはこの語は登場しない。春の月を詠んだ和歌も、
春霞たなびく今日の夕月夜
清く照るらむ高松の野に
(巻十、読人しらず)
と照り輝く月を詠んでいる。唯一、
うちなびく春を近みか
ぬばたまの今夜の月夜霞みたるらむ
(巻二十、甘南備伊香(かんなびのいかご))
という歌が、「春が近いために、今夜の月夜は霞んでいるのだろうか」と詠んで、朧月の気配を感じさせる程度である。
日本文学にまず出てくるのは「朧月(ろうげつ)」である。菅原道真の祖父・菅原清公(きよきみ)が勅撰漢詩集『文華秀麗集』の中で用いている。やわらかに霞む春の月を愛でる姿勢は、漢詩から来たのである。平安時代の日本人に愛された白居易(白楽天)に、「嘉陵(かりょう)夜 懐有り」という作がある。その二首目に、
明(めい)ならず暗(あん)ならず朧朧(ろうろう)たる月
暖ならず寒ならず慢慢(まんまん)たる風
独り空床(くうしょう)に臥(ふ)して天気好し
平明(へいめい)間事(かんじ)心中(しんちゅう)に到る
(白氏文集、巻十四)
という七言絶句がある。春の夜、朧月にゆったりとした風が吹いている。穏やかな天気の中、一人横たわる作者。夜明け、何気ないことばかりが心に浮かんでくる。
この漢詩を和歌にしたのが、
照りもせず曇りも果てぬ春の夜(よ)の
朧(おぼろ)月夜(づきよ)に如(し)くものぞ無き
(大江千里(おおえのちさと)集、新古今和歌集 春上)
である。彼は〈月見れば千々に物こそ悲しけれ我が身一つの秋にはあらねど〉という百人一首で知られるが、大江家は漢学に長けた学者の家で、千里は唐詩を翻案した和歌集『句題和歌』も編んでいる。
こうして漢詩から取り込まれた朧月は、二つの物語を通じて人口に膾炙する。
一つが、右の和歌を口ずさむ女性が登場する『源氏物語』「花宴(はなのえん)」の巻である。
いと若うをかしげなる声の、並(な)べての人とは聞こえぬ、「朧月夜に似るものぞ無き」とうち誦じて、こなたざまには来るものか。
高貴な女性は厳重に秘されていた時代なのに、夜中に一人で歩き回り、高らかに歌いながら現れる。光源氏は魅了され、そのまま恋仲になった。この印象的な女性はそのまま「朧月夜」の名で呼ばれる。
もう一つの物語が、『伊勢物語』六十九段である。在原業平と目される主人公は、伊勢を訪れ、斎宮に興味を持つ。伊勢神宮に仕える巫女で、未婚の皇女が務めた役目である。身も心も神に捧げる斎宮は、当然ながら恋愛禁止であるが、色好みの男はそうした壁を越えたがるものである。想いが通じたのか、夜、「月のおぼろなるに、小さき童を先に立てて、人立てり」と、女の方から訪ねて来るのである。
君や来(こ)し我や行きけむ思ほえず
夢か現(うつつ)か寝てか覚めてか
(古今和歌集 恋三)
これは、その翌朝に女から届いたものだが、二人は男女の仲になったのかどうか、曖昧な歌である。こうした不思議で甘やかな恋を彩ったのが朧月夜であった。
これらの物語を背景に、朧月はどこか艶やかで幻想的な雰囲気をまとっている。
蕉門の内藤丈草(じょうそう)に〈大原や蝶の出て舞ふ朧月〉という句がある。安徳天皇の母・建礼門院が後半生を過ごした寂光院(じゃっこういん)を有する「大原」の地名と響き合いながら、朧月を背に舞う蝶が優美である。
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