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継子譚は成長したのか― 三鷹古典を読む会 101回「住吉物語」に寄せて ―(梶間和歌)

本記事は、三鷹古典を読む会の第101回「住吉物語」に参加した梶間和歌さんが寄稿してくださったものです。講座にアーカイブ動画でのご参加を希望される方は、裕泉堂イヤーブックをお求めいただくか、個別記事をご購入ください。
ヘッダー画像は土佐長隆(東京国立博物館蔵・模者不詳)によるものです。

暴れ川を鎮めるために人間が生贄に捧げられるとか、その土地に住んでいるというだけの理由で見せしめに撫で斬りにされるとか、そうしたことが過去日本でもあった。
残酷な事象や非合理的ながら賛同を得ていた慣習など、ご存じのとおり、例を挙げれば枚挙にいとまがない。

現状が日本社会や国際社会の完成形である、とはもちろん思わない。
が、そうした事例のあった時代と比べると、現在の日本はよほどマシな形に成長しているだろう。

歴史は繰り返す、人間は愚かにも過去にやらかした失敗を何度も繰り返す、という面と、それでも人間は過去を踏まえ、少しずつ成長してゆくものだ、という面の両方がある、と私は考える。
少なくとも、悪くなる一方ではない。


社会も、例えば芸術のある特定のジャンルも、前の時代の成功そして失敗を踏まえながらその時点での精いっぱいを試み、少しずつ良くなってゆく。
その社会、業界、ジャンルが自己模倣に陥り、それを突き破る新興勢力の発生を許容せず、完全に成長を止め、滅びるまでは。

人が成長するように、そのジャンル全体も社会全体も成長する。
過去が輝かしく見える面もあるが、だからといって現在が衰退の一途を辿るのみであるとはいえない。そうでない面も必ずあるものだ。
私の専門とする和歌の世界もそうだし、最近楽しく拝見している山田五郎さんのYouTubeチャンネルで学ぶ絵画史にもまったく同じことが言えると見える。

2022年4月「三鷹 古典を読む会」定例会で扱われた『住吉物語』をそのような前提から読むと、いろいろな点が興味深い。

まずその成立は『枕草子』や『源氏物語』などより前とのこと。だが、現在私たちが手に取る本文は、当時のそのままでもその書写されたものでもない。
平安時代の本文がいったん消失したのち、断片的に伝わった『住吉』が鎌倉時代につなぎ合わされ、「こういうことだったのではないか」というものが完成した。
我々の読む『住吉』は鎌倉時代バージョン、そのバージョンも複数あり本文や和歌にかなりの異同がある。
そういうことで、原形は誰にもわからない。


例えば同じ継子物語で同時代の作品である『落窪物語』と比べると、継子いじめがあからさまでない、異母姉妹同士は仲がよい、などの違いが『住吉』にはある。
また「母が亡くなっているとはいえ宮腹の姫君が五節の舞姫になることは身分的にないのでは?」といったツッコミどころも、『住吉』には指摘される。
そうした違いやツッコミどころが、元の物語から存在した設定なのか、鎌倉時代に書かれた際に入れられたものなのか、個別に判断し、それをもとに解釈せねばならない、というところが難しくまたおもしろいと思った。


私個人としては、物語にはエンタメ性よりリアリティを求める。細部のリアリティが確かだからこそフィクション性、エンタメ性も活きる、と考えるタイプだ。
なので同じ『源氏物語』でも、空蝉や女三宮、浮舟あたりの物語には深く感じ入るいっぽうで、玉鬘の物語には「九州育ちのお姫様が都人に劣らない和歌を詠み、貴公子たちの求婚の対象となるわけがないだろう」と設定にご都合主義を感じてしまい、全体的に感情移入しにくい。

継子譚でも、弘徽殿女御が光源氏を追い落とそうとするさまには、多少のデフォルメもあろうが設定として理解できる部分が大きいので違和感はない。
実子のいない紫の上がそれに悩み苦しみながら生さぬ仲の明石の姫君を愛育し、実の親子以上の愛情で結ばれたストーリーにも感動できる。

いっぽう、鬼のような継母が同じく意地の悪い実子と結託して主人公を追い詰めるも、貴公子の活躍で主人公は窮地を脱してハッピーエンド、のような“物語的”物語にはリアリティが感じられない。
その貴公子はいったいどこから湧いてきたのか。実母の実家からの援助の見込めない女性を熱愛したところで、社会的立場としては『源氏』の紫の上が関の山だ。正妻にはなれず、夫に実利を与えることもできない。
光源氏から見た紫の上が“愛する人の血縁”であったのと同等以上の理由がなければ、母のない娘を損得勘定抜きで熱愛する説得力に乏しい。
それこそ『蜻蛉日記』作者が「物語の出来事は空言ばかりだ」と不満を抱いて『蜻蛉』執筆に至った、そこで想定された物語とはこうしたものだろう。

また、実際に継母として継子より実子を利せんとするならば、継子の父である夫にも気づかれにくいようにそれらしく振る舞うだろうし、夫に気づかれないようにとするなら実子たちが継子を嫌うように導く言動も慎むだろう。
企みの露見を防ぐ意味でも良心の呵責をごまかす意味でも関係者を限る、つまり実子たちに企みの片棒を担がせることなくごく少人数で事を為すのではないか。

そしてこれらは『住吉』の継母の態度、選択だった。
私には『住吉』の継母の振る舞いのほうが『落窪』その他と比べてリアリティあるものと感じられるが、これは当時の風習、感覚を共有し得ない現代に生きる人間の見方に過ぎないのだろうか。


さて、その、継子いじめに節度のある点、実子をいじめに加担させない点をどう解釈するか、がまた難しい。

それが継子いじめ譚の初期のものだから継子いじめの描き方が甘いのだ、継子いじめ譚の未発達であるころには『住吉』タイプ『落窪』タイプが両立していたが、エンタメとしておもしろいのはいじめがあからさまなほうなのだから、その後に書かれたものはそのジャンルの成長・・ の結果悪役が徹底的に悪役として描かれるようになり、勧善懲悪的になったのだ、エンタメとしておもしろくなるよう継子いじめ譚というジャンルが『住吉』を踏まえ成長・・していったのだ、と考えるべきなのか。

それとも、継子いじめに節度があるのは鎌倉時代の完成本特有のもので、平安時代の元の物語はそうではなかった、元の『住吉』は『落窪』のように人間理解が浅かったのに、それが時代を経て少し洗練され、鎌倉時代の『住吉』ではもう少し賢くリアリティのある継母像が描かれた、と考えるべきなのか。

または、日本の継子いじめ譚の変遷には「すべてのジャンルは少しずつ成長し、洗練されてゆくもの」という法則が当てはまらない、初期に奇跡的に質の高いものが創られたのち、大衆に受けやすいエンタメ要素の強い代わりにリアリティの薄い作品が増えていったのだ、と考えるべきなのだろうか。


私は和歌というジャンルで『万葉集』という古代の作品があまりにも神聖視されていることにうんざりし、「社会も芸術の各ジャンルも人と同じように成長するものだろう」と訴え続けているが、もしかするとジャンルによってはその原則に必ずしも沿わないものもあるのかもしれない。

『住吉』や継子いじめ譚、また物語全般については専門的に学ぶ立場でないので、これを以て何かを結論するつもりはないが、興味深く感じた古典作品との出合いだった。


本記事の執筆者 梶間和歌のnote

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