見出し画像

秋の風 ~古典文学に見る季語の源流 第九回~

季語「涼し」は、俳句初心者を混乱させる。涼しく過ごしやすくなった秋ではなく、夏に見出す涼しさを詠む季語であるからだ。

さらに難しいのが「夜の秋」。秋とあるが、こちらも夏の季語である。晩夏の夜に早くも秋の気配が漂うさまをいう。この秋の気配の正体は何かと言えば、風である。昼間はうだるような暑さであっても、夜には涼しい風が吹いたりする。

涼風が秋のサインであることは、百人一首〈住の江の〉で名高い藤原敏行の、

秋来(き)ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる

でも印象深い。勅撰和歌集では、季節の歌を時系列に配置するが、この歌は『古今和歌集』秋上の巻頭歌であり、まさに秋の到来を詠んだものである。秋が来たと目にはっきりと見える証拠はないけれど、風の音にはっとせずにはいられない――この感激は、飯田蛇笏の〈秋立つや川瀬にまじる風の音〉に通じる。

なお、同じ『古今和歌集』の夏の巻軸歌(最終歌)は、旧暦六月の末日に詠まれた、

夏と秋と行き交ふ空の通ひ路はかたへ涼しき風や吹くらむ(凡河内躬恒)

である。「夏が行き、秋が来る空の路では、片方に涼風が吹いているのだろう」というこの和歌も、「秋の到来=風」を印象付ける。

また、時代が下って『新古今和歌集』の頃になると、夏の涼しい夜風に秋を見出す「夜の秋」の感覚も多く詠まれている。夏の巻に、春宮太夫公継(きんつぐ)の歌として、

窓近きいささ群竹(むらたけ)風吹けば 秋におどろく夏の夜の夢

がある。夏の夜の夢のはかなさをテーマにした歌であるが、「窓のそばのささやかな竹の茂みに風が吹くと、もう秋だと、はっと目が覚める」とも詠んでいる。

なお、秋風は単なる涼しさ以上の情感を帯びる。古くは『万葉集』に、

うつせみの世は常なしと知るものを 秋風寒み偲ひつるかも

という大伴家持の歌がある。六月に妻を亡くし、翌月に詠まれた挽歌(ばんか)であるが、旧暦七月になって吹き始めた秋風が、愛する妻に先立たれた悲しみを強めている。世の無常を理屈では分かっていたけれど――と身体感覚から来る痛切な孤独である。こうした悲哀の情感が、芭蕉の〈物言へば唇寒し秋の風〉、蛇笏の〈なきがらや秋風かよふ鼻の穴〉に連なっていく。

秋風の情感が強い句に、芭蕉の〈秋風や藪も畑も不破の関〉がある。

不破の関は、現在の岐阜県不破郡関ケ原町にある。この地は六七二年の壬申の乱でも激戦地となり、その後、鈴鹿の関・愛発の関(後年、逢坂の関に変更)と並び、畿内と東国を隔てる関所に定められた。『万葉集』の防人は〈荒(あら)し夫(お)も立(た)しや憚る不破の関〉と詠んだが、奈良時代の終わりに関所としての役目は停止され、打ち棄てられた場所となった。

人住まぬ不破の関屋の板廂 荒れにし後はただ秋の風
(新古今和歌集、雑中、藤原良経)

この歴史的時間が己の中に息づいているからこそ、芭蕉は不破を目の当たりにして、胸に迫るものがあったのであろう。「秋風」は実景であると同時に、先達の歌人 良経へのオマージュでもある。

俳句は眼前直覚で詠むとされるが、芭蕉の句などを鑑賞していると、風景を目の前にしての痛切な感動には、古歌や歴史に連なってこそ抱き得る種類のものもあるのだと気付かされる。

そういえば『奥の細道』の〈夏草や兵どもが夢の跡〉もそんな句であった。

サポートは、書籍の購入、古典の本の自費出版に当てさせていただきます。